「沙羅と明日香の夏」(緋野晴子)

現代のいじめの本質を的確に捉えた作品

「沙羅と明日香の夏」
 (緋野晴子)リトル・ガリヴァー社

高校1年の夏、
明日香は友人の沙羅を連れて
祖父母のいる田舎で
夏を過ごすことにした。
二人は中学生の頃、
心ないいじめに
傷ついていたのだった。
二人の前に現れた青年・アルタイル、
そして不思議な男子3人との
夏が始まった…。

「いじめ」を扱った小説は
探せばかなり見つかるでしょう。
でも、読んでみると
リアル感のない作品が多いのです。
一方的な主観で描かれた「いじめ」、
不良グループによる
特異な例を取り上げた「いじめ」、
学級全体が悪のように
描かれている「いじめ」等、
丁寧な取材を
行っていないのではないかと
思われるような作品に
いくつか出会ってきました。
意外と評判のよい作品にも見られます。
そうした作品は一切無視し、
当ブログには
取り上げてきませんでした。

本作品は違います。現代の「いじめ」を
よりリアルに表現することに
成功しています。もちろん、
「いじめ」には同じ事例はなく、
一つ一つの形態や構造は異なります。
しかし、現代の「いじめ」の本質は、
本作品が最も的確に
捉えていると思うのです。

その一つは、
「空気」が問題であるということ。
「こいつならいじめても
かまわない」という「空気」が
学級内に醸成されると、
手に負えない状況になるのは確かです。
「空気」に抗うのは
一人の子どもの力では
相当に難しいのです。

学校だけではなく、
大人社会もまた「空気」という魔物に
侵されがちです。
最近話題となっている
ボクシング協会の一連の騒ぎもまた
「抗えない空気」のなせる業でしょう。

もう一つは、
決定的な「悪人」は存在しないということ。
いじめる側も取り巻く側も
「普通の人」なのです。
本作品は、
いじめた側の4人の女子生徒にある
背景もしっかりと描きこんでいます。
序盤で教師集団の
初期対応のまずさも
取り上げられていますが、
終末ではその教師たちの
成長した姿も記されています。

「普通の人」が
いじめに走る構図の多くは
「閉塞感」だと思うのです。
多くは受験による「閉塞感」、
それは受験競争というよりは
明るい将来像を描きにくくなった
現代ならではの「閉塞感」です。

本作品でも「いじめ」がすぐに
解決できているわけではありません。
むしろ解決できないまま卒業を迎え、
高校進学という環境の変化によって
「いじめ」の状況がなくなった、
その後の一夏を描いているのです。
しかし、時間はかかったものの、
二人の心の傷が癒やされていく道筋、
そしていじめた側の心の氷が
次第に融けゆくであろう過程が
はっきり見える結末であり、
読み終えた後、爽やかな希望に満ちた
気持ちにさせられます。

中学校3年生に強く薦めたい一冊です。
そして学校図書館に
必ず置いて欲しい一冊です。

※学校司書さんにお願いして、
 勤務校の図書室に
 入れてもらうことにしました。

※ちなみに私たち現場の教師は、
 「いじめ」の「空気」が発生しないよう、
 日頃から些細な変化を見逃さず、
 小さなことでも
 すぐに対応できるように
 アンテナを高く張っています。
 「消火型」ではなく「防火型」の対応を
 心がけています。

(2018.8.12)

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