「葱」(芥川龍之介)②

本作品の構造は特異な点が多々あります

「葱」(芥川龍之介)
(「芥川龍之介大全集3」)ちくま文庫

おれは締切日を明日に控えた今夜、
一気呵成に
この小説を書こうと思う。
いや、書こうと思うのではない。
書かなければならなく
なってしまったのである。
では何を書くかと云うと、
それは次の本文を
読んでいただくよりほかに…。

前回取り上げた本作品は、
お君さんについて観察した
小説家の目線で書かれたものであり、
「入れ子構造」になっているのです。
ただし、本作品の構造は
特異な点が多々あります。

それは「小説家の行動」と
「お君さんの物語」が
同じ時間進行の中で
展開していることです。
お君さんと田中君のデートの一件は、
小説家「おれ」が翌日まで
小説を書かなければならない
その夜のことです。
「おれ」はお君さんを観察しながら
小説を書いていることに
なっているのです。

だからこんな一文があります。
「お君さんはしばらくは
 身動きもしそうはないから、
 その間におれは大急ぎで、
 ちょいとこの
 栄光ある恋愛の相手を紹介しよう。」

そして田中君について説明したあとに、
「おれは今夜中にこの小説を
 書き上げなければならない」

続くのです。

ここで一つ
気を付けなければならないのは、
「作品中の小説家・おれ」=芥川
ではないということです。
芥川は明らかにそういう
読み手の誤解を誘導しています。
そしておそらくは
自分の本心とは別の気持ちを
「おれ」に吐露させているのです。
「おれはこの挿話を書きながら、
 お君さんのサンティマンタリスムに
 微笑を禁じ得ないのは事実である。
 が、おれの微笑の中には、
 寸毫も悪意は含まれていない。」

お君さんに同情を寄せているのですが、
額面通りに受け取るわけには
いかないでしょう。

作品中の作家が登場人物を持ち上げて
哀れみを引き立てる効果は、
「毛利先生」など他の作品でも
使われています。
同情しているのは
作品中の作家の「おれ」であって、
作品を書いた作家の俺は
そんなことちっとも思ってねーよ、
という芥川のつぶやきが
聞こえてくるような気がします。

不可解なのは最後の数行です。
「おれ」がお君さんの小説を
書き上げてからのつぶやきです。
「左様なら。お君さん。
 では今夜もあの晩のように、
 ここからいそいそ出て行って、
 勇ましく
 ――批評家に退治されて来給え。」

時系列を考えるに、
つぶやいたのは
お君さんと田中君のデートの翌朝です。
「あの晩」とはどの「晩」か?
デートは「昨晩」であるはずです。
だとすると「出て行く」のは
お君さんではないのか?
誰?「おれ」自身?
さらに「批評家」とは誰?
「退治される」とは何?
誰が誰に「退治」されるの?
このあたりがよくわからないのです。

わからないから面白いのです。
文庫本にして数頁の短編なのですが、
ついつい何度も読み返し、
そのたびにいろいろ考えてしまいます。

(2018.12.31)

【青空文庫】
「葱」(芥川龍之介)

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