「居場所がほしい」(浅見直輝)②

やはり学校で学ぶことは必要だと思えてならないのです

「居場所がほしい」
(浅見直輝)岩波ジュニア新書

前回本書を取り上げましたが、
終末に「大人が読むとすれば
注意が必要」と但し書きを入れました。
本書を読んで、
「何だ、不登校でも
立派にやっていけるんだ」と
安易には考えられないからです。

注意するべき点の一つは、
著者は中学校段階で学校に
復帰できているということです。
一年半の不登校は、
期間としては短い方です。
3年生の段階で学校に復帰し、
高校進学を果たしたからこそ、
大学進学も可能だったはずです。

多くの不登校生徒は、
卒業段階でも登校できず、
高校進学が難しい状況になっています。
もちろん私立の高校や
定時制高校に入学することは可能です。
しかしそうして進学しても、
登校できず、
中退するケースが多いのです。

そして高校に進学しなかった場合や、
進学しても中退した場合、
その子どもと関わる外部機関が
なくなることが大きな問題なのです。
保護者も誰に相談すればいいか
わからないもまま時間ばかりが過ぎ、
結果的に成人してからも
引きこもりが続くことになります。

注意するべき点の二つめは、
著者は早稲田大学受験にあたって、
通常では考えられないほどの
学習時間を費やしている
(本書には書かれていませんが)
ということです。
著者はそうした努力をいとわない
「エネルギー」を持っていたのです。
「無気力型」や「エネルギー不足型」の
子どもたちの場合、
こうした「エネルギー」を
どう身に付けるかが
きわめて難しい問題となります。

注意するべき点の三つめは、
著者が学校に戻るにあたって、
学校や級友たちの
多くのサポートがあったはずですが、
それが一切記されていない点です。
友達からの一本のメールがきっかけで
再登校するようになったことが
記されているのみです。

不登校生徒が学校復帰するには、
学校の教師だけでなく、
関係機関、そして
級友たちの多くの支えが必要であるし、
実際それがあるからこそ
本人が一歩踏み出す
下地がつくられるのです。
当事者である著者自身には、
その当時、
そうした自分の周囲の様子が
見えなかったのかもしれません。
黙って待っていたら、
子どもが自然に
学校に行く気になりました、
という事例は、
少なくとも私は知りません。

こう考えたとき、
「学校へ行かなくてもいいんだよ」と、
子どもたちに安易に
言えないのではないかと思うのです。
もちろん精神的に
追い詰められている子どもや
いじめを受けている子どもについては
緊急避難として登校を
無理強いしないことも必要です。
しかし、
そのまま引きこもりに進展する
多くのケースを見てきた以上、
やはり学校で学ぶことは
必要だと思えてならないのです。

「不登校」について、多くの大人が
知恵を出し合うきっかけとして、
本書が役立つのではないでしょうか。

※なお、中学校1年生時に
 著者が不登校になった原因について、
 本書では「2人組の不良生徒の
 道連れとなって
 教師から叱責を受けたこと」と
 なっていますが、
 著者自身が別のサイトに
 投稿した記事には
 「野球部の練習が厳しく、
 ふと休んでみようと思った」と
 記載されています。
 すべてありのままに書かれているとは
 思わずに読み進めた方が
 いいのかもしれません。

(2019.1.21)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA