「李陵」(中島敦)

三者三様の「死にきれなかった生き様」

「李陵」(中島敦)
 (「中島敦全集3」)ちくま文庫

中国前漢時代、
李陵は匈奴征伐のため
漠北へと出陣する。
騎馬主力の匈奴に対して、
李陵が与えられたのは
僅かな歩兵だけであった。
圧倒的不利な状況で
奮闘する李陵であったが、
四方を囲まれ、
激戦の果てに
ついには捕虜となる…。

と、粗筋めいたものを
書きましたが、
これほど紹介に苦慮する作品は
他にないと思われます。
なぜなら作品は3つの部分に分かれ、
「一」は李陵が出陣し、
捕虜になるまで、
「二」は李陵を擁護した
歴史家・司馬遷の苦悩、
「三」は捕虜となった
李陵のその後と
旧友・蘇武との関わりについて
書かれているのですが、では
何を描きたかったのかとなると、
私には正直よくわかりません。

また3つの部分のつながりも
不明確です。
李陵と司馬遷は
直接には繋がっていません。
また、「一」「二」で
李陵・司馬遷の内面にまで
踏み込んでそれぞれを
描出しているにもかかわらず、
「三」での蘇武については
李陵の目を通した姿しか
表されていないのです。

もし、
本作品の3つの部分から
何らかの共通性を
見いだそうとするならば、
それは三者三様の
「死にきれなかった生き様」
なのかも知れません。

李陵は、
捕虜となったあと、
自決せずに生きて
祖国に帰還する道を選びます。
しかし国元に残した
妻子をはじめとする一族が
処刑されるに及び、
漢に帰ることを諦め、
匈奴で生きることを決意します。
そうした彼の目には、
それまで野蛮で未開発としか
映らなかった匈奴の生活文化が、
辺境の気候に即した
合理的なものであることに
気付きます。
さらには祖国漢の政治システムの
腐敗の様子も見えてくるのです。

司馬遷は、
宮刑(去勢手術する刑罰)を受け、
極度の精神的苦痛を味わいます。
自ら命を絶たなかったのは
修史の仕事を成し遂げる
使命感によるものです。
自らを一度死んだものと見なし、
歴史編纂に命を燃やす様は、
読んでいて鬼気迫るものを感じます。

蘇武は、
李陵同様匈奴の捕虜となるも
自死の道を選ばず、
かつ漢族の誇りを捨てずに
辺境で細々と生きのびます。
捕虜19年目にして
祖国への帰還が許されます。
他民族に屈することなく
誇りを全うした姿が描かれています。

運命にもてあそばれたとしか
いいようのない三者三様の
「死にきれなかった生き様」。
苦難の中でこそ、
その人間の本質が現れるのかも
知れません。

※3つの部分のつながりが不明確、
 と書きました。
 最もそれも無理はなく、
 中島の死の半年後に
 発表された本作品の原稿は、
 解説によると、
 題名も付けられていない
 「判読に迷うような、
 文字通りの草稿」だったそうです。
 つまりは作者自身が
 完成させたのかどうかが怪しい、
 未完成の疑いのある
 作品なのでしょう。

(2019.2.8)

【青空文庫】
「李陵」(中島敦)

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