「まるごと好きです」(工藤直子)

「友だち」の「友だち論」を交えた「友だちの在り方」論

「まるごと好きです」(工藤直子)ちくま文庫

中学のころから、
ひとと出会うときは、
まずまるごと好きになる、
というふうになってきた。
まるごと好き、というのは、
「きらい」もひっくるめて
好きなことである。
そのうえで、そのひとの、
好きな部分にだけ
パチパチと拍手する。

そんなことができるなんてすごい!
と思いながら読み進めた本書は、
「友だち」について綴られた
工藤直子のエッセイ集です。
といっても、
筆者が自分の私見を
延々と述べたものではありません。
筆者の「友だち」が至るところに登場し、
その「友だち」の「友だち論」を交えて、
筆者は「友だち」の在り方について
語っているのです。

例えば
「友だちとの関わり方」について、
筆者は「友だちと
仲良くありたい」という姿勢が
「八方美人」と受け取られないか
気になった(筆者曰く
「八方美人心配症)時期が
あったことを告白しつつ、
友だちのまち子さんもまた
八方美人心配症であったこと、
同じく友だちの西崎くんから
「それは君の特権ではない」と
いわれたことから
救われたことを紹介しています。
そしてそれらの中に
銭湯へ行けなかった
友だちまきちゃんの気持ちを、
聞き役に徹したことで
「友だちに必要なこと」が
見えてきた逸話や、
そうした時分につくった詩、
心を動かされた作家の詩を
挿しはさんでいるのです。

「友だちの在り方」について、
こうした様々な角度から
述べられているのです。
だから不思議と胸にすとんと
落ちてくるのです。

そして終末では、
筆者の「友だち」の範囲は、
動物や植物たちにも広がってきます。
「人生最初のおつきあいが、
 人間より自然のほうが
 なじみ深かったので、
 ときどき、人間のほうを、
 樹や虫になぞらえて思ったり、
 風のようにかんじたりする。」

中学校1年生の
国語の教科書に載っている
「かまきりりゅうじ」の詩は、
こうしてできたのかと
納得させられます。
「世界は自己の投影図だとすると、
 けやきやヘビやミノムシも、
 みな自分にほかならない。」

最後に筆者の視線は
自分自身の内側に向いていきます。
「自分とのつきあいは、
 だれの手も借りることもできない
 孤独な作業であり、
 ひとはみな、それぞれに、
 その孤独な作業をやっているのだ」。

「友だち論」を超えて
「人生論」に達している
工藤直子のエッセイ。
1985年の作品でありながら、
全く色あせていません。
人間関係に悩んでいる
中学生に強く薦めたい一冊です。

(2019.2.25)

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