福島第一原発事故を予見していた一冊
「原発事故はなぜくりかえすのか」
(高木仁三郎)岩波新書
福島第一原発事故を
予見していたかのような一冊、
それが本書です。
著者は日本における反原発思想を
本格的な運動として立ち上げた
市民科学者・高木仁三郎氏です。
JCOの臨界事故を知り、
ガンとの闘いの中、
最後の力を振り絞って著した、
まさに命をかけた一冊なのです。
筆者は反原発の立場を
明確にしていますが、
感情的な部分は一切ありません。
「安全文化」という論点で、
冷静に科学技術の在り方を
分析しています。
本書には、そうした視点で
福島第一原発事故を
予見していたかのような記述が
並んでいます。
「原子力導入の過程で
大きな議論になったのは、
なんといっても原子力発電所で
非常に大きな事故が起こった場合、
一企業が損害賠償する範囲を
はるかに超えるのではないかという
問題です。(略)
日本の原子力産業は、
大事故の責任まで
とり切れるのかという議論を
真剣にせずに、事故が起これば
〈国まかせ〉ということで
つき進んでしまった歴史があります。」
実は、福島第一原発の廃炉費用を
誰が負担するかは
まだ決まっていません。
汚染者負担の原則からすれば
東電が負担すべきなのですが、
経済産業省は将来の電気料金に
上乗せさせることを目論んでいます。
結局、私たちに、というよりも
私たちの次の世代に
負担を押しつけることになるのです。
世界最大規模の電力会社であっても
責任をとれないような
巨大なリスクを、
私たちは見過ごして
きてしまっていたのです。
「危機状態のときに
モーターなどを使って
人為的で動的な介入をして
安全を確保するようなことをやると、
モーターが動かないときは
どうするのかという問題が
必ず出てきます。(略)
もっと強力な自然の法則、
重力の法則が働いて、
それによって制御棒が
挿入されるというような、
そういった本来的な安全性が
働くような形のシステムで
あったほうがよいということです。」
幾重もの防御システムも、
電気が通らなければ何も機能しない。
そんな当たり前なことすら
事故が起きなければ
誰も直視しようとしない。
これが日本の原子力産業、
原子力行政の実態なのです。
「(1999年の東海村JCO臨界)事故から
一年ばかり経ってみると、
忘れっぽい日本人はまた、
すでにそういう問題は
忘れようとしてしまっているかに
思えます。」
その著者の見識は正しく、
12年後に福島第一原発の大惨事を
私たちの国は
引き起こしてしまいました。
いくつかの原発が再稼働し、
さらにいくつかが
その準備を進めています。
福島第一原発事故すらも
忘れ去られようとしています。
著者が生きていたら、
この国の現状を
何と言って嘆いたことか。
想像に余りあります。
(2019.3.15)