「わんぱく天国」(佐藤さとる)②

最後の1ページが重すぎます。

「わんぱく天国」(佐藤さとる)講談社文庫

前回取り上げた「わんぱく天国」。
そのタイトルどおり
全編遊び図鑑なのですが、
本作品は同時に、
戦争の悲惨さを静かに訴えた
戦争文学としての顔を
併せ持っています。

しかし、戦争についての記述は
まったく登場しないまま
物語は進行します。
そして最後の1ページに突然現れます。
「それからもう三十年以上もたつ。
 杉浦一郎は、
 横須賀中学から海軍兵学校に進み、
 航空隊を志願して沖縄で戦死した。
 二十さいになったばかりの
 中尉だった。
 石井明は、高等小学校一年から
 乙種海軍飛行予科練習生を
 志願してごうかくし、
 硫黄島沖で戦死。
 十八さいの海軍上等飛行兵曹。」

たった5行。
事実のみを淡々と記し、
物語は閉じられます。

この1ページが重すぎます。
単純に昭和初期の
子どもたちの遊びを紹介するだけなら、
この1ページは必要なかったはずです。
物語の舞台は
軍港として栄える横須賀市。
子どもたちは軍国教育にさらされ、
目の前の軍艦の勇姿に憧れ、
戦場へ向かい、
そして散ったのでしょう。

戦争は、
日常を根こそぎ奪い去るということを
如実に表しています。
遊びの天才たち、
地域社会の将来のリーダーたちが、
大人になるかならないかのあたりで
人生を終えなければならない。
なんという悲惨な歴史があったことか!

おそらく昭和10年代、
既に戦争の暗い影は日々の生活に
十分忍び寄っていたことでしょう。
物不足の状況は
いたるところに書き表されています。
それをものともせずに
伸び伸びと遊んでいた子どもたち。
しかしそれでも彼らの日常は
剥奪され消滅させられたのです。

反省させられました。
平和が破壊されるということが
どういうことなのか、
平和すぎる時代に生きている私には
わかっていなかったのかもしれません。

以前紹介した井上光晴の
「明日 一九四五年八月八日・長崎」
(集英社文庫刊)と同様に、
戦争を直接描くのではなく、
その直前の平和を描くことにより
戦争のむごさを伝える。
説得力があります。

ただし、本作品、
暗く終わるだけではありません。
カオルのその後には
しっかりと希望を持たせています。
「カオルこと加藤馨は、
 いま小さな出版社につとめている。」

主人公カオルは
この時代の語り部として
精一杯生きていることを暗示しています。

戦争を考える一冊として、
中学校3年生に薦めたいと思います。

(2019.5.6)

Public CoによるPixabayからの画像

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