「開き過ぎた扉」(石川達三)

高度経済成長期の日本が直面した切実な課題

「開き過ぎた扉」(石川達三)新潮文庫

青年医師・内藤奎治は、
偶然巡り会った戸塚七重に
「宿命的」な結びつきを感じ、
結婚を決意する。
しかし両者の母親は
その結婚に強く反対した。
また、その理由については
曖昧に言葉を濁すだけだった。
やがて七重が
妊娠したことがわかり…。

読み進めるにつれて
奎治と七重の関係が明らかになります。
二人の母は実の姉妹、
そして父親も同一であったことが
判明します。
つまり二人は異母兄妹だったのです。
妊娠後にそれを知った七重は、
自ら命を絶つのです。
愛する七重を死に追いやったのは
誰なのか?
奎治の心は揺れ動きます。

真実を隠し続けた二人の母親に、
奎治の批判の矛先が向きます。
次に、奔放な性生活を送った父親を、
彼は糾弾します。
かつての乱れた性の結果が、
今日の悲劇を招く原因となったのだと。

しかし最後は
自分自身の性の欲望を断罪します。
七重との婚前交渉がなければ、
結婚できないにしろ
彼女は死ぬ必要はなかったからです。
彼は瀬戸内海の孤島の
無医村地域への出向を自ら希望します。
それはあたかも罪人が悔いて
仏門に入るような心境だったに
違いありません。

本作品の発表は1970年。
「性の解放」が叫ばれ、婚姻と性行為が
必ずしも結びつかなくなった時期に
あたります。それとともに
家父長制的な社会制度をはじめとした、
女性を縛り付けていた鎖が、
徐々に解かれ始めた
時代でもあるのです。
作者・石川は、そうした女性の
自立の価値を認めつつも、
性の風紀の乱れに
警鐘を鳴らしているのです。

それから約半世紀の時間が流れました。
現代日本を考えたとき、
性の乱れは
石川が恐れていたほどには進行せず、
女性の自立は
石川が想像したであろうほどには
浸透せず、
閉塞感だけが漂っているような
気がします。
石川が本作品を通して
投げかけた問題は、ややリアル感を
喪失しつつあるのかも知れません。

女性の性の解放は
罪悪をもたらすという、
男性的な視点からの
問題提起の仕方も、現代では
共感されにくい部分があります。
本作品を純粋に味わうのは
難しくなってきているのは否めません。

しかし、ここには(というよりも
石川のすべての作品には)
高度経済成長期の日本が直面した
切実な課題が
鮮烈に描写されているのです。
「時代遅れ」などとは言わず
味わう価値のある作品だと思います。

(2019.5.20)

StockSnapによるPixabayからの画像

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