「騎士団長殺し」(村上春樹)②

「小説とは何か」という原点に立ち返った作品

「騎士団長殺し(全4冊)」
(村上春樹)新潮文庫

免色の頼みごととは、
秋川まりえの肖像画を
描くことだった。
免色は「私」に、
まりえが自分の娘である
可能性があることを告げる。
自分の描く絵の変化を
感じている「私」は、
そこに免色の企みがあることを
承知で依頼を引き受ける…。

文庫本で全4冊、
1300頁を越える超大作です。
しかし描かれているのは
僅か数ヶ月の時間なのです。
したがって展開はきわめて緩やかであり
村上作品に慣れていない方が読むと、
表現が回りくどく冗長だと
感じるのではないかと思われます。

これは作者が登場人物の視点に立ち、
見えるべきものを全て文章で表現し、
細かな情景まで
正しく読み手に伝えようとしての
試みにほかなりません。
一例として秋川まりえの
人物描写についてみてみます。

「私」の家への最初の訪問の場面は、
「黒のコットン・ウールの
 セーターを着て、
 茶色の膝までの丈の
 ウールのスカートをはいていた。
 これまで学校の制服を着ている
 彼女しか見たことがなかったので、
 いつもとは雰囲気が
 ずいぶん違っていた。」

二度目の訪問では、
「色の褪せたストレートの
 ブルージンズに、
 白いコンバースの
 スニーカーという、
 この前とはがらりと違う
 カジュアルなかっこうだった。
 ブルージンズにはところどころ
 穴があいていた(もちろん
 意図的に注意深く開けられた穴だ)。
 グレーの薄手の
 ヨットパーカを着て、
 その上に木こりが着るような

 厚い格子柄のシャツを羽織っていた。」

これはただ単に思いつきで
詳しく描いたわけではないでしょう。
三度目の訪問は「この前とだいたい
同じような格好だった」で
済ませているのです。
つまり、最初の訪問時は
礼儀をわきまえた服装、
それが2回目以降に
カジュアルな格好になったのは、
十分に打ち解け
信頼を寄せるようになったことを
意味しているのです。

前回、「すべてが絵画的暗号で
綴られたような大長編小説」と
書きました。
こうした部分にも絵画的な表現が
現れているのです。
登場人物の心情を、
極力目に見える視覚的な表現の
積み重ねで表す以上、
文章量が必要になるのは当然です。

こうした表現技法は
明治の文豪たちの作品には
しばしば見られることですが、
エンターテインメント性を重視する
作品ばかりになってしった現代では
軽視されがちな要素です。
本作品は、
現代を代表する作家・村上春樹が、
「小説とは何か」という
原点に立ち返った作品のように
思えてなりません。

(2019.8.1)

junsung backによるPixabayからの画像

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