「悲しみよ こんにちは」(サガン)②

ジーン・セバーグの美しい脚

「悲しみよ こんにちは」
(サガン/河野万里子訳)新潮文庫

「悲しみよ こんにちは」
(DVD:1958年アメリカ・イギリス)

正直に言います。
私はこの本が好きなのか、
この映画が好きなのか、
ジーン・セバーグが好きなのか、
それともジーン・セバーグの
美しい脚が好きなのか、
自分でもよくわかりません。
多分、最後のものではないかと…。

本書は、私の中では
映画と切り離すことが出来ません。
最初に映画に
出会ってしまったからです。
出会いは私の高校時代でした。
小説を書いたサガンが
執筆当時18歳。
主人公セシルが17歳。
映画で主演したセバーグが
たしか当時18歳、
そしてそれに出会った私も18歳。
まぶしすぎる出会いでした。

17歳の少女セシルは、
独り身でハンサムな父を愛している。
陽光きらめく
南フランスの海岸での夏のバカンス。
聡明で魅力あふれる42歳のアンヌが
父の恋人として現れる。
セシルは、自分のボーイフレンドを
巻き込みながら、
アンヌから父を奪い返す計画を企てる。
悲劇とともに終わる夏のバカンス。

筋書きだけを見たとき、
「若さゆえの残酷さ」を
感じざるを得ませんが、
セシルは「残酷」なのではなく
「複雑」なのです。
それが思春期特有の
少女の内面というものでしょう。
彼女の感情は、
「愛しさ」「憂い」「幸せ」
「倦怠」「憧れ」「後悔」と、
めまぐるしく移り変わります。
だからこそ最後に訪れる
「悲しさ」が際立ちます。

それを映画では、
セバーグが見事に表現しています。
小説を読んでなお深く理解できました。
これはおそらく、
18歳のサガンの心理
そのものだったのではないかと。

さて、ジーン・セバーグですが、
この作品以後は
「勝手にしやがれ」くらいしか
ヒット作を残すことが
出来ませんでした。
以後、精神を崩し、
若くしてこの世を去ります。
まるでセシルの刹那的な生き方を、
銀幕の外で
身をもって表現したかのようです。
だからこそ、
この一作の放つ輝きが、
目もくらむほど眩いのです。

私は18歳でこの映画に出会って以来
(NHKで放送したものを
ビデオテープに録画し、
すり切れるまで見ました)、
レーザーディスクを買い、
DVDに買い換え、
今またBlu-rayが早く出ないか
物色中です。

正直に言います。
私はやはりジーン・セバーグの
美しい脚が大好きです。

※本書を何度再読しても、
 頭の中にはセバーグしか
 思い浮かべることが出来ません。
 映像作品を先に見てしまうと、
 どうしてもイメージが
 固定化してしまいます。

(2019.8.3)

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