「放浪記」(林芙美子)②

彼女の一生も激動の「放浪記」だったのでしょう

「放浪記」(林芙美子)新潮文庫

書く。ただそれだけ。
捨身で書くのだ。
西洋の詩人きどりでは
いかものなり。
きどりはおあずけ。
食べたいときは食べたいと書き、
惚れているときは
惚れましたと書く。
それでよいではございませんか。
…。

前回取り上げた本作品、
読むのには多少予備知識が必要です。
本編は第一部から第三部に
分かれています。
第一部は昭和5年7月、
第二部は同年十一月に刊行、
第三部のみ終戦後の
昭和24年に出版されたのですが、
それら3つをまとめたものが
本書なのです。しかしその順で
執筆されたのではありません。

すべて大正11年から15年までの
日記なのですが、
第一部ではいくつかを抜粋し、
二百数頁の作品として世に出ました。
それが予想外に売れたものですから、
すぐさま日記の残りの部分から
同様に抜粋して
第二部が編まれたのです。
時局柄検閲に引っかかりそうな記述は
その段階では
取り上げられなかったのですが、
それをまとめたのが第三部なのです
(そのため第三部だけ
少々毛色が異なります)。
つまり、第一部から第三部まで、
同じ5年間の流れが繰り返されるのです。

また、抜粋されてあるために、
それぞれの部の中の章立ては、
前後のつながりが希薄です。
東京に出てきたかと思えば
いつの間にか京都にいる。
そうかと思えば岡山に移り住んでいる。
「放浪記」の表題のように、
各地を転々としているのですが、
どこでどうなったか、
状況把握は困難です。

生活場所ばかりではありません。
彼女の職業も「放浪」しています。
カフェの女給をしたかと思えば
事務員をしてみたり、
次の日付では会社の受付嬢をし、
そうかと思うと
職にあぶれているのです。

さらには男性遍歴も「放浪」しています。
この「彼」はどの「男」?という場面が
多々あります。
まさに「放浪記」なのです。

そんな林も、大正15年に
画家・手塚緑敏と知り合い、後に結婚、
本作品が売れるに至り、
「放浪記」時代は終わります。

数年前、新宿にある林芙美子記念館に
立ち寄りました。
旧林邸を改造して造られた記念館、
敷地・建物共に
かなりの広さがありました。
貧乏作家どころか、
晩年はかなり裕福だったと思われます。
本作品内での林の気持ちの
浮き沈みの激しさ同様、
彼女の一生も
激動の「放浪記」だったのでしょう。
大人のあなたにお薦めしたい一冊です。

(2019.8.24)

【青空文庫】
「放浪記」(林芙美子)
「放浪記(初出)」(林芙美子)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA