「訪問」(ピランデッロ)

彼女はおそらくは「私」の幻想なのでしょう

「訪問」(ピランデッロ/内山寛訳)
(「百年文庫026 窓」)ポプラ社

召使いが取り次いだのは、
昨晩「私」の夢の中に現れた
ヴァイル夫人。
彼女とは3年前の園遊会で
たった一度だけ出逢い、
「私」はその美しさに
惹かれていたのである。
しかし、彼女は…、
昨日亡くなっていた…。

かつて憧れた女性が亡くなり、
それが夢の中に現れたと思ったら、
自分の家に訪れていた。
幽霊話かと思いきや、
ロマンティックな幻想小説でした。

「私」が彼女に憧れた理由が
何ともいえません。
一度だけ出逢った園遊会の席で、
「彼女の胸の内側をべっ見して
しまうことになった」からなのです。

その彼女が、3年前のそのときと同じ、
つまり「白いモスリンの夏服を着て、
胸を思い切りよく
はだけた格好でいながら、
飾り気がなく、ほとんど
子供らしさといえるものまでを、
そのまま表している」格好で
現れたのですから、摩訶不思議。

もちろん現れた彼女は
おそらくは「私」の幻想なのでしょう。
彼女が「私」に話しかけたとたん、
彼女は消えてしまうのですから。

それでも「私」は
彼女の幻影を見続けます。
幻の彼女はこう話しかけます。
「私の胸のことを知ってて?
 私が死んだのは
 このためだったのよ。
 持って行かれてしまったわ。
 ひどい病気にあって、
 二度も台無しにされてしまったの。」

察するに乳癌だったのでしょうか。
そして二度にわたって
摘出手術を受けたという
ことなのでしょうか。

さらに消えて見えないはずの
彼女は語ります。
「もう大丈夫よ、
 今はこうして両方の手で
 えり元を広げて、
 ありったけを見せてあげれるわ。
 どんなだこと?見て頂だい。
 私っていう人間は、
 もう、いないのよ」

「私」は新聞で、
彼女の死因も知っていたのでしょう。
憧れていて胸の奥に秘めていた、
幻想のような思い出が、
彼女の死によって終焉を迎えた。
しかしその思いは
終わることなくくすぶりつづけ、
夢に見たまでで飽き足らず、
現実の世で幻として
見るに至ったということでしょう。

難解な言い回しが多く、
わかりにくい作品ではあります。
しかしながら幻想的な美しさと
切ない表情に満ちた、
なぜか心に引っかかる作品です。

調べてみると作者・ピランデッロは
イタリアの作家で
1934年にノーベル賞を受賞している
実力派なのでした。
また魅力ある作家に
出会うことができました。

(2019.8.26)

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