「牛肉」(林芙美子)

貧乏の象徴が「馬肉」なら、「牛肉」は?

「牛肉」(林芙美子)
(「晩菊/水仙/白鷺」)講談社文芸文庫

佐々木の部屋に、
かつて付き合っていた満喜江が
突然転がり込んできた。
聞けば身請けしてもらった
西洋人のところを
出てきたのだという。
満喜江は1ヵ月ほど
自由気ままに暮らした後、
突然姿を消した…。

前回取り上げた「馬乃文章」は
「馬肉」にまつわる作品でしたが、林には
「牛肉」という名の作品もあります。
貧乏物語が林作品の
第一ジャンルとすれば、
こちらは第二ジャンル
「男女ドロドロ物語」です。

この満喜江が奔放かつ
不仕合わせな女性です。
高級娼館の芸奴
(このとき佐々木が頻繁に出入り)
→西洋人に身請けされる
→家出して佐々木の部屋住み
→インド人と交際して家出
→目を患い薄汚れた長屋住まい
 (ここで佐々木と再会)
→吉原の小さな娼館、と
次第に落魄れていくのです。
佐々木と再会した満喜江の言葉
「何だか、ね、
 胸の中を風が吹くみたいなの。
 淋しくて、毎日、
 やぶれかぶれになったのね。」

いかにも淋しすぎます。

佐々木は満喜江が
初めての女性であったこともあり、
彼女と関わり続けます。
しかし出征・帰還後、
彼女の動静を知りますが、
そのときはすでに
熱が完全に冷め切っていました。

満喜江が次第に輝きを
失ったのとは対照的に、
佐々木は新聞社での実績を積み、
それなりの生活を
送ることができるようになっています。
はじめは手の届かない存在だった
満喜江が、最後の場面では
憐れみの対象となっているのです。

この対比が満喜江の身の哀れさを
浮き彫りにしています。
若くて美しい女性も、
生き方に不器用であれば幸せを
掴み損ねるということでしょうか。
林の「男女ドロドロ物語」の多くは、
女性が不幸になって終わります。

作者・林も決して器用に
生きたわけではありません。
戦時中は「軍のお抱え作家」と酷評され、
戦後は馬車馬のように作品を書き連ね、
47歳の若さで
心臓発作を起こして他界します。
林作品に登場する女性にはみな、
何らかの形で作者自身の人生が
投影されているように思われます。

さて、「馬乃文章」では「馬肉」が重要な
キーアイテムとなっていましたが、
本作品において
問題の「牛肉」はどこに登場するのか?
最後の一文に現れます。
「佐々木は汗ばんだ三百円で、
 牛肉でも買って帰って、
 久しぶりで栄養を摂りたいと思った。」

貧乏の象徴が「馬肉」なら、
「牛肉」は豊かさの証なのでした。

(2019.9.8)

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