読み味わうべきは主人公・伊沢の感情の変遷
「白痴」(坂口安吾)
(「白痴」)新潮文庫
映画会社の見習い演出家・伊沢が
ある晩帰宅すると、
押し入れの布団の影に
隣家の白痴の女性が
隠れていた。
彼女は気違い男の女房であり、
何かの事情で
ここに逃げてきたらしい。
伊沢は彼女を
保護しようと考えるが、
彼女は…。
伊沢は「手を出さない」と
紳士的に説き伏せたにもかかわらず、
女は戸口へうずくまり、
布団で寝ようとしません。
伊沢は腹を立てるのですが、
よくよく聴いてみると
事情はまったく逆。
彼女は伊沢の愛情を求めて
やってきたのでした。
そこから近所の目を避けての
不思議な同居生活が始まります。
ここで読み味わうべきは
伊沢の感情の変遷です。
伊沢の感情①純粋なものを愛でる
「俺にもこの白痴のような心、
幼い、そして素直な心が
何より必要だったのだ」
映画会社に対して
憎しみに近い感情を持っていた
伊沢の気持ちは、
彼女との出会いによって
和らいでいくのです。
伊沢の感情②低俗な不安
いつ空襲が起こるか
分からない状況です。
空襲が起きたとき、
「女がとりみだして、
飛びだしてすべてが近隣へ
知れ渡っていないかという不安」を
覚えます。
彼女の生命の危機は感じていません。
伊沢の感情③白痴の苦悶への嫌悪
空襲のあった晩のこと。
彼女の絶望に満ちた表情に、
伊沢は醜悪さを感じるのです。
「ああ人間には理知がある。
理知も抑制も
抵抗もないということが、
これほどあさましいものだとは!」
伊沢の感情④絶望と落ち着き
激しい空襲の予感に、
彼女の死を想像します。
「戦争がたぶん女を殺すだろう。
その戦争の冷酷な手を
女の頭上へ向けるための
ちょっとした手掛かりだけを
つかめばいいのだ。」
伊沢の感情⑤本能的な愛情
大空襲が始まり、二人は逃げ惑います。
「死ぬ時は、
こうして、二人一緒だよ。
怖れるな。
そして、俺から離れるな。」
抜き出して並べてみると
支離滅裂に感じられますが、
もしかしたらこれが極限状態における
人間の感情の移ろいを、
最も忠実に再現しているのではないかと
思うのです。
そして揺れ動きながらも、伊沢が
彼女を見捨てることをしなかったのは、
やはり純粋無垢なものへ寄せる
愛情ゆえでしょう。
坂口安吾という
破天荒な作風の作家については
知っていたのですが、
食わず嫌いをしていました。
アンソロジーである
「日本文学100年の名作第4巻」で
本作品に出会い、その内包している
エネルギーの大きさに驚き、
本署にたどり着きました。
坂口安吾、やはり偉大な作家です。
(2019.11.19)
【青空文庫】
「白痴」(坂口安吾)