「故郷」(魯迅)

輝きを失った「小さな英雄」

「故郷」(魯迅/藤井省三訳)
(「故郷/阿Q正伝」)
 光文社古典新訳文庫

家の売却のために
二十年ぶりに帰郷した「僕」は、
幼馴染みである
閏土(ルントウ)と再会する。
彼は幼い頃、
鳥の捕まえ方や
スイカ畑の番の仕方を
教えてくれた、
「僕」にとっての
「小さな英雄」だった。
しかし、再開した彼は…。

魯迅の小説の中で、前回取り上げた
「小さな出来事」とともに、
私の好きな作品の一つです。

「僕」よりも一、二歳年上で、
生活経験が豊富な
「お兄さん」的存在だったルントウ。
しかし三十年ぶりに再会した彼は、
変わっていました。

一つは風貌の変化です。
「彼の顔には、
 喜びと寂しさの色が入り交じり、
 唇は動いたものの、
 声にならない。」
「顔は皺だらけだが、
 その皺は微動だにせず、
 まるで石仏のよう。」

生活の苦しさが
彼を変えていったのでしょう。

もう一つは「僕」に対する
態度の変化です。
「私」に向かっての第一声は「旦那様!」
そして
「あのころは子供で、
 道理もわきまえず…」

かつての兄弟分は、
いまはもう主と使用人の関係に
なっていたのです。

さらには彼の人間性の悲しい変化です。
不要な家具を
分け与えたにもかかわらず、
彼は数点の家財を盗もうとします。
幼い日の「小さな英雄」は
見る影もなくなっていたのです。

「僕」はルントウを非難せず、
ただその輝きを失った
「小さな英雄」の変化を悲しみます。
「故郷の山河も
 次第に遠ざかっていくが、
 僕は少しも
 名残惜しいとは思わなかった。
 ただ僕のまわりに
 目に見えぬ高い壁ができて、
 僕一人が隔離されている気分で、
 ひどく落ち込んでいた。」

作者・魯迅は「僕」の口を借りて
人間批判をするかわりに、
将来への展望を語らせています。
「僕」の甥と彼の子どもの関係に
かつての二人の姿を重ね合わせ、
「僕のように
 苦しみのあまり
 のたうちまわって生きることを
 望まないし、
 ルントウのように苦しみのあまり
 無感覚になって
 生きることも望まず、
 そしてほかの人のように
 苦しみのあまり
 身勝手に生きることも望まない。」

これは魯迅の人間観・人生観に留まらず、
国家観の表れと考えられます。
そしてここに昨日の
「小さな出来事」とも通じ合う、
魯迅の崇高な考え方が
表出しているのです。

魯迅が生きていたら、
現代の中国を、現代の日本を、
そして現代の世界を、
どのように捉えるのでしょうか。

(2019.12.15)

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