「一番大切な記憶」をどうつくっていくか
「引き出しの奥」(角田光代)
(「さがしもの」)新潮文庫

「わたし」は「伝説の古本」を探す。
それは正体不明の
古い本なのだが、
裏表紙にびっしりと書き込みが
されてあるのだという。
「わたし」がその話を切り出すと、
古本屋の前で
声をかけてきた同級生は、それは
「記憶」ではないかという…。
「伝説の古本」というと、
何やらミステリアスな書物の
物語のような感じがありますが、
その実体は登場せず、
噂話だけの存在です。
「わたし」は、名前も知らない同級生が
つぶやいた「記憶」という言葉に反応し、
自分の生き方を見つめ直すのです。
「わたし」はどんな女の子か?
だれとでも寝てしまうのです。
男好きなのでも
色情狂なのでもありません。
断る術を知らないだけなのです。
誰かに夕ご飯をおごられたとき、
それに対するお礼の仕方を
思いつかないだけなのです。
そうした自分の在り方に
疑問を感じ始めていた矢先に、
「記憶」というキーワードに
ぶつかったのです。
「書いてあるのって、
いろんな人の記憶じゃないかな」
「記憶?」
「一番大切な記憶かもしれない」。
「わたし」は、「一番大切な記憶」が
自分にはないことに思い当たるのです。
二十歳そこらの女の子の人生経験では
当然といえば当然です。
でも、では何歳になったら人は
「一番大切な記憶」ができるのだろうと
考えてしまいます。
もしその「伝説の古本」が目の前にあり、
その裏表紙に自分の「一番大切な記憶」を
記入しなければならないとしたら、
果たしてそこにどう書くか、
迷ってしまうに違いありません。
書くべきことがないのか、
あるいはありすぎて選べないのか、
それすら判断できないくらいです。
むしろ「一番大切な記憶」は、
過去の記憶の中から
選び出すべきものでは
ないのかもしれません。
これからそれを創ろうとする姿勢こそが
重要なのでしょう。
作品の主人公「わたし」も
そうあろうとします。
「わたしは捜したくなっていた。
大切だと思えるような記憶を。
かなしいと思えるような時間を」
「好きでもない人とともに
眠り続けることは、
わたしを
とくべつ傷つけないかわり、
わたしを
よろこばせもしないのだと、
もうずいぶん前から
気づいていたような気がした」。
さて、人と本とのつながりを描いた
短編集である本書の作品群の中で、
本作品は「本」が重要なアイテムとしては
存在していません。
しかし「記憶」の集積が
「本」を成していると考えるならば、
「わたし」の気づきはまさに
自分なりの新しい「本づくり」の
開始といえなくもありません。
人の一生は「本」そのものと
とてもよく似ているのですから。
〔本書収録作品〕
(2021.5.29)

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