「日本文学100年の名作第2巻 幸福の持参者」

百花繚乱の相を呈していた、大正期の日本文学

「日本文学100年の名作
   第2巻 幸福の持参者」新潮文庫

「島守 中勘助」
明治四十四年九月二十三日、
ひどい吹きぶりのなかを
島へわたった。
これから「私」の住居となる家は、
ほんの雨つゆしのぎに
なるばかり。
周囲の山やまから
おしよせてくる寒さを、
この都人に防いでくれるほどの
用には立たない…。

やはり面白い。
日本文学の黎明期には、
こんなに面白い作家、
こんなに面白い作品が
こんなにも存在していたのかと、
改めて驚かされます。

「食堂 島崎藤村」
お三輪は
息子新七のもとを訪ねる。
お三輪は京橋で香や扇子、
筆、墨などを扱う店を
経営していたが、
関東大震災ですべてを失い、
気力をなくしていた。
新七は震災後の混乱の中で、
これまでの商売を諦め、
新しく芝に食堂を開く…。

「遺産 水上瀧太郎」
震災によって「彼」の家と
金持ちの隣家の間の塀が崩れた。
そこから子どもたちが交流し、
やがて隣家との交際が始まった。
隣家は先代が高利貸しで
儲けた金で建てた家であり、
周囲と隔絶していた。やがて
町内の見回りの話が出て…。

新潮文庫
「日本文学100年の名作第2巻」は、
1924年から1933年までの
10年間に発表された短編小説集です。
関東大震災(1923年)後ですので、
震災が何らかの形で関係している作品が
多く収められています。
島崎藤村の「食堂」、
水上瀧太郎の「遺産」などは、それを
直接的に取り上げているのですが、
他の作品も表面に表れない部分で
大なり小なり震災の影響が
表れているのではないかと思われます。

「幸福の持参者 加能作次郎」
家計を堅実にやりくりしている
妻の楽しみは虫の声を聴くこと。
彼女は迷いながらもある日、
草花屋から一匹の
蟋蟀(こおろぎ)を買ってくる。
夫も喜び、
一疋の小さな虫は、
思いがけない平和と幸福を
家にもたらした。
ところが…。

「風琴と魚の町 林芙美子」
行商を営んでいた一家は、
尾道に降りて商売をはじめる。
初めは化粧品が売れ、
白いご飯が
食べられていたのだが、
雨が続き、
次第に売り上げが落ちると、
また貧しさが押し寄せてきた。
その中で、「私」は
小学校に通うことになる…。

冒頭の中勘助「島守」や
表題にもなっている
加能作次郎「幸福の持参者」、そして
林芙美子の「風琴と魚の町」のような
私小説的作品は、
いかにもこの時代らしい作風です。
しかし、そうでない作品の方が
多い印象を受けます。

「渦巻ける烏の群 黒島伝治」
松木・武石の
二人が所属する中隊は、
シベリアの雪の中を
黙々と歩いていた。
案内役のロシア人は
道に迷ったという。
やがて夕暮れが近づいてきた。
行き先にあるものは雪ばかり。
極度の疲労が彼らを襲い、
松木が倒れ、武石もまた…。

この時代にすでに反戦小説が
あったことにも驚きました。
戦後のものという
思い込みがあったからです。
黒島伝治の「渦巻ける烏の群」は、
日本の軍国主義の汚い部分が
明治・大正期から続いているもので
あることを明らかにしています

「詩人 大佛次郎」
「ちいさい子供たちを、
…誰が殺せますか?」
暗殺対象者が家族を
同席させていたことで、
カリャアエフは
爆裂弾の使用を見合わせる。
首謀者・サビンコフは
計画の延期を思案するが、
カリャアエフは再度一人で
実行する決意を固める…。

ロシアでのテロを題材にした
大佛次郎の「詩人」も
深い味わいのある作品です。
テロを実行した人物に
寄り添ったような書き方は、
現代であれば問題にされそうですが、
詩情豊かな作品として
仕上がっています。

「機関車に巣喰う 龍胆寺雄」
俺達の住まいを
打ち開けようか。
土手の腹に傾いで錆びついている
泥汽車の機関車さ。
今は火床の歪んだ鉄格子の上へ
枯草を積んで、
古毛布を小鳥の巣のように
隅々へ襞打たせて、
やっとこさ二人分の体温で
あけがたまでしのぐのだ…。

「薔薇盗人 上林暁」
花壇に植えてあった、
たった一株の薔薇の花が
何者かに盗まれ、
学校中が大騒ぎになる。
その薔薇は五年生の仙一が
盗んだものだった。
翌日、事は露見しており、
仙一は教員室に呼ばれ、
受け持ちの先生から
厳しく問い詰められる…。

「麦藁帽子 堀辰雄」
夏休みの避暑地で、
「私」は少女と
念願の再会を果たす。
彼女は「私」の幼馴染みであり、
「私」の年上の友人の妹である。
かつて幼かった彼女は、
見違えるような娘となって
「私」の前に姿を現した。
「私」は彼女の
気を引こうとするが…。

龍胆寺雄の「機関車に巣喰う」には、
若い世代特有の
エネルギーの奔流を感じさせます。
貧しい少年を主人公とした
上林暁の「薔薇盗人」の
しみじみとした味わいも素敵です。
堀辰雄の「麦藁帽子」に見られる
少年の成長も読み応え十分です。

「訓練されたる人情 広津和郎」
省線電車N駅付近にできた
花街の看板奴・玉千代は、
男に惚れやすく、そして
子どもができやすい体質だった。
すでに四人の子どもを
産み落としていた二十七のとき、
彼女はある大旦那から、
子どもを産んで欲しいと頼まれ、
承諾し…。

花街に生きる女を描いた
広津和郎の「訓練されたる人情」は、
このあといくつか登場した
「花街小説」の嚆矢のような存在です。
どこまでも明るい主人公が魅力的です。

「利根の渡 岡本綺堂」
利根川のほとりに現れた
一人の座頭は、
来る日も来る日も渡し場で
「野村彦右衛門」なる人物を探す。
気のいい渡し小屋の
老人の勧めで、座頭は
老人の小屋に同居する。
ある夜、老人が目覚めると、
座頭は一心に
太い針を研いでいた…。

「Kの昇天 梶井基次郎」
「私」は、ある月夜の海岸で
捜し物をしているような
人影に出会う。
それがKだった。
Kは「月影をじっと見ていると
影が人の姿形を帯びてくる」と
「私」に語る。
そればかりか、
自分自身の人格をも持つという。
ある晩、Kは溺死する…。

「瓶詰地獄 夢野久作」
無人島から漂着した
三本の麦酒瓶。
それらには海難事故に遭い、
漂着した兄妹からの手紙が
封入されていた。
その一通目には、
呪われるべき
自分たちの罪と運命、
愛おしい両親への謝罪、
そして「死」の選択が
切々と綴られていた…。

岡本綺堂の「利根の渡」は
時代物ホラーとでも呼ぶべき内容です。
梶井基次郎の「Kの昇天」は
ドッペルゲンガーを扱った異色作です。
夢野久作の「瓶詰地獄」は
隠されたエロスが
何とも妖艶に匂ってきます。
そして極めつけは尾崎翠
「地下室アントンの一夜」でしょう。
大正期に安部公房をもしのぐ
アヴァンギャルドな作品を
書き上げた作家がいたとは。
衝撃的です。

「地下室アントンの一夜 尾崎翠」
詩人・土田久久作は、
オタマジャクシの詩を
書こうとしていたところに
動物学者・松木から
小野町子によって
オタマジャクシが届けられ、
詩が書けなくなり、
地下室アントンに出かける。
そこには幸田がいて、
松木、土田が合流する…。

全15編を見渡すと、
本当に様々な分野の個性際だつ作品が
ぎっしり詰め込まれています。
まるでコレクションボックスに
整然と収められた
宝石のような輝きです。
第1巻は全体的に探偵小説、
怪奇小説、耽美小説的なものが
多いと感じましたが、
第2巻は本当に多種多様な
文学の世界が広がっています。
日本文学はこの時期、
百花繚乱の相を呈していたのです。

(2021.12.18)

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