「日本文学100年の名作第10巻 バタフライ和文タイプ事務所」

日本文学は、多様なジャンルに分化し、発展し続けている

「日本文学100年の名作第10巻
 バタフライ和文タイプ事務所」
 新潮文庫

「日本文学100年の名作第10巻」新潮文庫

「バタフライ和文タイプ事務所
          小川洋子」
「私」の勤める
バタフライ和文タイプ事務所。
そこには、
近くの大学医学部からの論文が
持ち込まれる。
あるとき「私」の打ったタイプの
「糜」の活字が欠けてしまう。
所長は三階の活字管理人に
持って行けという。
活字管理人とは一体…。

新潮文庫「日本文学100年の名作」
最終巻です。
2004年から2013年に発表された
16篇を収録しています。
すべて21世紀に生まれた作品です。
まさに新世紀の日本文学が
凝縮されています。
今、日本文学は、
実に多様なジャンルに分化し、
発展し続けているのです。

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小川洋子
「バタフライ和文タイプ事務所」と
高樹のぶ子「トモスイ」は、
どちらも女性の手による
絶妙なエロス感覚満載の作品です。
かつてこのようなエロスの分野は、
谷崎潤一郎江戸川乱歩
領域でしたが、それはいささか品性を
欠くものであったことは否めません。
しかし新世紀のエロス文学は、
きわめて上品なのです。
それは女性自らがが
描いているからなのでしょう。
男性では表現できないものが
しっかりと表出しているのです。

「トモスイ 髙樹のぶ子」
「わたし」は春まだ浅き頃、
ユヒラさんと夜釣りに出る。
ユヒラさんは男なのか女なのか
わからない人だ。
ユヒラさんが釣り上げたのは
「トモスイ」。
食べれば不味いが、吸えば美味、
とことん吸い尽くせるという。
二人は吸いはじめ…。

ミステリの形も進化しています。
吉田修一の「風来温泉」は、
単なる不倫小説かと思えば
最後にミステリとわかる仕掛けで
読み手を驚かせます。
桐野夏生の「アンボス・ムンドス」も、
謎解きなどの要素は全くない、
ただただブラックな犯罪小説です。
一方、道尾秀介の「春の蝶」は、
ライトなミステリに仕上がっています。

「風来温泉 吉田修一」
一人で那須温泉を訪れた恭介は、
同じ一人客の女性・さゆりと
親しくなる。
恭介は
営業成績トップの保険外交員、
さゆりは
化粧品会社の経営者だった。
一緒に食事を楽しんでいる間、
恭介は
妻・真知子とのことを思い出す。
恭介は妻を…。

「アンボス・ムンドス 桐野夏生」
「私」の受け持つ
五年生の女の子が五人、
夏休みに山へ遊びに行き、
その中の一人が
崖から転落して死亡した。
そのとき「私」は
妻子ある教頭と密かに
海外旅行に出かけていた。
世間から指弾される中、
「私」は生徒の死に
疑問を抱く…。

「春の蝶 道尾秀介」
「わたし」の部屋の
右隣に住む老人・牧川は
一人暮らしだと
思っていたのだが、いつからか
娘と孫娘が同居していた。
4歳になる孫娘・由希は
耳が聞こえなかった。
そんな牧川の部屋に泥棒が入り、
1300万円もの現金が
盗まれたという…。

さらに、
SF的作品も進化を遂げています。
恩田陸の「カタツムリ注意報」は、
読み手を見事に虚構の世界へと
引きずり込みます。
森見登美彦の「宵山姉妹」も、
どこからが現実で
どこからが非現実世界なのか、
その境界の見極めが困難です。
山白朝子の「〆」は、
ひたひたと忍び寄る恐怖が
なんともいえません。
かつては宇宙だの異次元だの
化け物だのがSFの定番だったのですが、
新世紀は一つ異なる領域へと
対象が移行しています。

「かたつむり注意報 恩田陸」
旅人の「私」は心酔する作家
シン・レイの伝記を書くため、
その臨終の地である町を
訪れている。
夜、ホテルで
ワインを飲んでいると、主人が
「かたつむり注意報が
出た」と言う。
かたつむりは巨大な躯を持ち、
大挙してやってくるらしい…。
※ブログを訂正する

「宵山姉妹 森見登美彦」
女の子は
勇気を振り絞って歩き始めた。
姉に連れられて訪れた宵山で、
繋いでいた手を離してしまい、
一人になってしまったのだった。
怖い思いに耐えて
歩き続ける彼女の前に、
真赤な浴衣を着た
5人の女の子が現れ、
彼女を導く…。

「〆 山白朝子」
旅する「私」と和泉蠟庵の後を
追いかけるようについてくる
白い鶏。
「私」は小豆と名付ける。
二人は迷い込んだ村で、
折からの雨に風邪を引き、
寝込んでしまう。
二人を見舞って
村人が食料を届けるが、
それはみな
人の顔をしていた…。

そして注目すべきは、
新感覚の小説の登場です。
現代のベストセラー作家・伊坂幸太郎は、
若者の感覚を生かしながら、
小説の構造にも変化を持たせ、
極上のエンターテインメント
「ルックスライク」を創造しています。
絲山秋子は「神と増田喜十郎」という
表題からしてまったく理解不能の
前衛的な作品を編み上げました。

「ルックスライク 伊坂幸太郎」
美人のクラスメート・美緒から、
無賃利用者を一緒に
捕まえて欲しいと請われ、
和人は駅の地下駐車場に向かう。
犯人を見つけた美緒は…。
〔高校生〕
ファミレスで客に絡まれている
店員の朱美を、
邦彦は機転を利かせて救う…。
〔若い男女〕

「神と増田喜十郎 絲山秋子」
女装しているときの増田喜十郎は
きわめて自覚的であった。
あらゆる角度から
自分の姿を見ることが
できるような気がするのだった。
歩道橋の階段に腰を下ろして、
神は新しい悪について
考えをめぐらせていた。
雨の日のことで…。

一方で、従来の大衆文学も、
しっかりと新世紀の衣装をまとって
その位置を確保しています。
三浦しをんの「冬の一等星」は、
ミステリのようでもあり、
人情物語のようでもあり、
成長物語でもある、
不思議な感触の作品です。
角田光代の「くまちゃん」は、
単なる恋愛ものに終わっていません。
大人の成長物語なのです。
桜木紫乃の「海へ」も
新しい時代の市井の人々の悲しみを
見事に炙り出しています。
辻村深月の「仁志野町の泥棒」も
現代の生きにくさを感じている
女性の姿が浮き彫りとなっています。

「冬の一等星 三浦しをん」
私が誘拐されたのは、
八歳の冬のことだった。
文蔵には私を誘拐するつもりは
毛頭なかったはずだし、
私も最後まで誘拐されているとは
思っていなかった。
だがあの状況を一言で
言い表そうとすると、
結局はどうしても
「誘拐」になって…。

「くまちゃん 角田光代」
研修で訪れたベルリンの町の
一角にあるテナントを
覗いた苑子は、
主催者を見て驚く。
三年前に交際していた男の子
「くまちゃん」の敬愛していた
アーティストだったからだ。
苑子は「くまちゃん」のことを
少しだけわかった気がした…。

「海へ 桜木紫乃」
一緒に暮らしている健次郎に
「金が必要」だと
千鶴は持ちかけられる。
フリーのジャーナリストとしての
仕事が入ったのだという。
千鶴は客の加藤との
専属契約を承諾し、
健次郎に20万円を用立てる。
翌朝早く、
健次郎は家を出る…。

「仁志野町の泥棒 辻村深月」
「りっちゃんの家のおばちゃん、
泥棒なんだよ」。
クラスメイトから
その話を聞いた「私」は驚く。
どうやら近所でも有名ならしい。
仁志野町は
田畑に囲まれた住宅地。
「泥棒」などという言葉とは
無縁だった。
「私」は律子との接し方に…。

もちろん純文学的作品も健在です。
伊集院静の「朝顔」は、
現代の「老い」の現実を
まざまざと見せつけます。
そしてその中に
救いを見いだせるような構造と
なっているのです。

「朝顔 伊集院静」
二人の娘を嫁がせた。
妻が先に逝った。
七十歳をこえて
軽い脳梗塞を患った。以来、
耳の奥に絶えず奇妙な音がする。
一人になった龍三郎は、
ある晩、耳の奥で
いつもとは異なる音を聞く。
彼は自分の過去を確かめるための
旅に出る…。

本アンソロジー中、
最も秀逸なのはこの一篇です。
木内昇の「てのひら」。
一時代前の情景を切り取りながら、
「老い」の問題を
現代に引き寄せて提示しています。
短篇でありながら、
長編小説を読んだような
感慨深さを感じさせます。

「てのひら 木内昇」
上京した母を東京見物に
連れ出した佳代子。
だがことあるごとに
「贅沢」を口にする母の貧乏性に
違和感を感じる。
上野へと出かけた日、
雑踏の中で風呂敷包みの中の
塩むすびを広げた母に、
佳代子は抑えていた気持ちを
爆発させ…。

読書を重ねていると、ついつい
明治から昭和初期の文豪たちの作品に
目を奪われてしまいます。
過去の作品は、
淘汰された結果の名作ばかりであり、
「はずれ」が少ないからかも知れません。
しかしながら本書を読むと、
現代の作家たちの作品も、
溢れるだけの魅力を湛えていることに
改めて気づかされます。
多くの作家たちの、さらに多くの作品が
現代はあふれかえっています。
その中から真の名作を探し出す作業が、
今を生きる私たちに
課せられているように思えます。
玉石混淆とした中から、
自信を持って他人に薦められる
文学作品を、
これからも探していきたいと思います。

〔本書収録作品一覧〕
2004|バタフライ和文タイプ事務所
             小川洋子
2004|アンボス・ムンドス 桐野夏生
2005|風来温泉 吉田修一
2005|朝顔 伊集院静
2006|かたつむり注意報 恩田陸
2006|冬の一等星 三浦しをん
2007|くまちゃん 角田光代
2007|宵山姉妹 森見登美彦
2008|てのひら 木内昇
2008|春の蝶 道尾秀介
2009|海へ 桜木紫乃
2009|トモスイ 髙樹のぶ子
2009| 山白朝子
2009|仁志野町の泥棒 辻村深月
2013|ルックスライク 伊坂幸太郎
2013|神と増田喜十郎 絲山秋子

日本文学100年の名作をどうぞ

(2022.12.22)

TumisuによるPixabayからの画像

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