「日本文学100年の名作第7巻 公然の秘密」

自分が知っている昭和の姿がそこかしこに現れている

「日本文学100年の名作第7巻
    公然の秘密」新潮文庫

「鮒」(向田邦子)
勝手口に置かれていた
バケツには、
一匹の鮒が入っていた。
体長15センチほどのそれには、
確かに見覚えがあったのだが、
家族の手前、
塩村は知らない振りを
するしかなかった。
それはかつての愛人・ツユ子の
飼っていたものだった…。

日本文学100年の名作第7巻。
1974年から1983年までの
10年間の作品が収録されています。
私にとっては、この10年間は
小学校入学から高校入学頃までの
時期であり、私自身の
思い出と重なり始めた作品群です。
最初に掲げた「鮒」は、
その直後に台湾での航空機事故で
作者・向田邦子が亡くなったニュースが
流れたことを鮮明に覚えている
(なぜ記憶にあるのか、わかりません。
その当時、向田邦子という作家には
興味も関心もなかったはずなのですが)
ため、取り上げました。

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本書を再読して思うのは、
戦後復興した日本文学が、
さまざまな方向に枝葉を広げ、
それがようやく結実した時期がこの
10年なのではないかということです。
向田邦子と飛行機事故繋がりと
いうわけではないのですが、
次は筒井康隆の「五郎八航空」。
そしてその次の
安部公房「公然の秘密」と併せて、
本書のSF的作品として
まとめてみました。

「五郎八航空」(筒井康隆)
取材のために記者とカメラマンが
無人島を訪れる。
船で来たのだが、
台風接近のため
迎えの船は来ないという。
明日まで東京に帰らないと
馘首になるのだが、
地元民によると、
「五郎八航空」なる軽飛行機が、
迎えに来るはずという…。

「公然の秘密」(安部公房)
汚泥でよどんでいる堀割で、
動くはずのないものが
動いている。
人々は気にもとめず、
気にしていてもしてないような
ふりをしている。
やがて泥の中から
腐敗した仔象が出現する。
存在するはずのないものが
闊歩しはじめたとき…。

SFといっても
奇想天外なだけではありません。
しっかりと社会を風刺し、
戦後社会の矛盾点をさりげなく
指摘している点が秀逸です。

SFに続いては、時代物3篇です。
柴田錬三郎は、外国人には
理解できない切腹を取り上げ、
日本人の精神に迫っています。
藤沢周平の一篇は、
少年の成長がまぶしいかぎりです。
井上ひさしの作品は、
実在の人物に焦点を当てながら、
人間の温かさと哀しみを
浮き彫りにしています。

「長崎奉行始末」(柴田錬三郎)
長崎に英国艦船が不法侵入し、
オランダ商館員を人質に取り、
物資を要求する。
長崎奉行は、
長崎への砲撃を阻止するとともに
日本国の面目を守るため、
ある決断をする。
十五年前に拾い、
家臣に預けてある
双子の混血児があり…。

「小さな橋で」(藤沢周平)
広次は姉を迎えに
行かなければならなかった。
それは姉が怖がりだからでも
身体が弱いからでもなかった。
姉が通い勤めしている
米屋の手代の重吉と
いい仲になっているので、
母親が心配してのことだった。
しかし姉のおりょうは…。

「唐来参和」(井上ひさし)
吉原の年老いた女郎・
お信のもとを同心が訪ねる。
唐来参和という
黄表紙作家のことを
調べているのだという。
その女郎はかつて、
唐来参和を名のった源蔵と
夫婦として暮らした
時期があった。
老女郎の語り明かす
参和の生き様とは…。

ここからはミステリ風の作品3篇です。
近年のミステリは、
殺人事件を明確な形で描くのではなく、
日常に転がっている
いろいろな風景を切り取って、
謎解きの要素や
さりげない不安をかき立てるような
作風が主流となっています。
阿刀田高の一篇は、
最後まで読んで初めて
ミステリであることに気づかされます。
神吉拓郎の作品は、
料亭ノベル・ミステリとでも
いうのでしょうか。
黒井千次作品は、
純粋なミステリではありませんが、
その衝撃の大きさは
ミステリをしのぎます。

「干魚と漏電」(阿刀田高)
こわごわ匂いを嗅いでみた。
生臭いような、
古い野菜のような、
防腐剤が染み込んだような
一種名状しがたい
複雑な匂いが漂う。
冷蔵庫そのものの匂いと
言ってもいいのかもしれない。
指先の品は、
すっかり干からびて
歪に縮んで…。

「二ノ橋 柳亭」(神吉拓郎)
編集者・村上が関わった随筆
「二ノ橋 柳亭」。
そこには店のつくり、
店の雰囲気、店主の風貌、
接客態度、酒の肴などが
詳細に記されていた。
実はこの店は
架空の料亭なのだという。
ところが「柳亭」が実在するという
投書を受け取り…。

「石の話」(黒井千次)
「お金持ちになったら
買ってもらう」。
誕生石・ダイヤの入った
指輪を贈るという
婚約時の約束を思い出したFは、
宝石店を回って品定めをし、
万端に整えた上で妻に切り出す。
しかし妻は、
それなら買ってほしいものが
あるという…。

ここからはエンターテインメントの
要素は少なく、
純文学的な色合いの強い作品です。
まずは戦争の傷跡についての3篇です。
色川武大の短篇は、
戦争で心に傷を負った主人公の、
明るい再生の物語です。
竹西寛子の作品は、戦時中に
少年が体験した思い出を綴った、
本書の中でも白眉の作品です。
李恢成の一篇は、
日本の植民地政策が原因となって
分断した朝鮮半島に関わる、
韓国人の国籍問題についての作品です。

「善人ハム」(色川武大)
肉屋の善さんが、
町内の有名人になったのは、
日支事変のごく初期に、
金鵄勲章を貰ったからである。
この勲章は
戦死者が対象になることが多く、
生存している一兵卒に
与えられることが
稀であるうえに、
当時は戦争がはじまった…。

「蘭」(竹西寛子)
父の知人の葬儀へ出向いた帰り、
混雑する列車の中で、
ひさしは思いがけない
歯の痛みに襲われる。
治療途中の歯にものが挟まり、
耐えがたい痛みと
なっていたのだ。
ひさしがそれを告げると、
父は持っていた扇子を
おもむろに…。

「哭」(李恢成)
在日二世どうし結婚した
「わたし」の義母が亡くなる。
義母は千葉県N市で
パチンコ店を細々と経営し、
なけなしの収入から
自分たち夫婦を
支援してくれていた。
義母の死から三年後、
「わたし」は思い立って
義母の故郷の島へ赴く…。

続いて純文学の大家の作品です。
円地文子は芸者の世界の
光と影を描いています。
遠藤周作作品は
日本における宗教の難しさを
私小説として表現しています。

「花の下もと」(円地文子)
「お勢が亡くなった」と、
とき子は「私」に告げる。
とき子は歌舞伎俳優・
喜瀬川仙寿と一時、
熱い仲になった女であり、
お勢はその喜瀬川家に
仕えている女中だった。
老境に達したとき子は
お勢についての思い出を
静かに語りはじめる…。

「夫婦の一日」(遠藤周作)
「鳥取まで一緒に行って欲しい」。
妻にそう切り出された「私」。
わが家によくない事が
続いたため、心配になった妻は
ある占い師に
見てもらったのだという。
クリスチャンとしてそれを
信じるわけにはいかない「私」は
妻と諍いになる…。

ここからはあまりなじみのない
作家たちの作品です。
3篇とも
「死」に絡んだ作品となっています。
三浦哲郎作品は、
表現されているものの奥底に、
深い悲しみが隠されている逸品です。

「おおるり」(三浦哲郎)
何かにつけて同僚・彌太の死を
思い出してしまう消防士の「彼」。
ある日一人の女性が屯所を訪れ、
鳥の啼き声について尋ねてきた。
それは屯所で飼っている
「おおるり」のものだった。
入院患者がその啼き声を
楽しみにしているのだという…。

富岡多惠子作品は、
ドタバタ調の展開の裏に、
「死」を見つめる作者の
温かいまなざしが感じられます。

「動物の葬禮」(富岡多惠子)
ときどきしか顔を出さない
娘・サヨ子が、
付き合っている男・キリンを
連れてやってくる。
しかし彼はすでに死んでいた。
娘はこの家で
キリンの葬禮を出すのだという。
翌日、娘は外へ出て行き、
ヨネは他人の死体と
過ごすことに…。

そして田中小実昌の「ポロポロ」は、
宗教に関わる作品である以上、
人間の「死」を見つめている作品と
思われますが、私はまだしっかりと
理解できていません。
本書最大の難解な作品でありながら、
なぜか心に
棘のように引っ掛かる作品であり、
本書中最も読み応えのある
一篇となっています。
長く付き合える作品であり、
作家であると感じます。

「ポロポロ」(田中小実昌)
ポロポロをやってると、
うしろはふりかえらないようだ。
うちの教会では、
ポロポロを受ける、と言う。
しかし、受けるだけで、
持っちゃいけない。
いけないというより、
ポロポロは持てないのだ。
持ったとたん、
ポロポロは死に…。

文学作品は、それが生まれた
時代の空気を反映しています。
この17篇を読むと、
自分が知っている昭和の姿が
そこかしこに現れていることに
気づかされます。
1974年から1983年は、
私の記憶と知識が形成されていった
10年間です。
第6巻までとは異なり、
本書はまるで自らの記憶の断片を
読み合わせているような
錯覚に陥りました。

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