「ふたすじ道・馬 他三篇」(長谷川如是閑)

「おかしみ」というオブラートに包まれたその内側には

「ふたすじ道・馬 他三篇」
(長谷川如是閑)岩波文庫

「ふたすじ道・馬 他三篇」岩波文庫

「馬」
可愛がっていた軍馬とともに
退役となった騎兵将校・「少佐」。
彼は自分が職を
失したことよりも、
愛馬・アカツキと離ればなれに
なることの方が幾層倍辛かった。
ある日少佐は、
軍から払い下げられたアカツキを
曲馬小屋で見かけるが…。

近代日本を代表する
言論人・長谷川如是閑
明治8年生まれのこの
反骨のジャーナリストは、
新聞記事・評論・随筆・紀行・創作と
約3000本もの作品を著しています。
本作品集には
小説5篇が収録されていますが、
溢れるユーモアのその奥底に、
如是閑は鋭い社会風刺の刃を
潜ませています。
明治・大正期に
生まれた作品でありながら、
現代に通じる主題を
見出すことができるものばかりです。

冒頭に掲げた「馬」は、
妻を愛する以上に
愛馬を愛でてしまった
「少佐」の滑稽な行動が、
ユーモラスに描かれています。
コントのようにも読めるのですが、
それは表面的なものに過ぎません。
「おかしみ」というオブラートに包まれた
その内側には、
時代に取り残された人間の悲哀が
切ないほど息づいています。

お役御免となった軍馬は
見世物の曲馬となり、
退役軍人の「少佐」は
そこの軽業師になろうとするのですが、
大正時代のことと笑っていられません。
AIの台頭によって
職を奪われる人間が増えたとき、
この作品のような悲哀が
そこここにあふれ出しているのかも
知れないのですから。

「ふたすじ道」
浅草界隈で、
掏摸に身を染めはじめていた
孤児少年・吉。吉を
堅気の世界へ引き戻したのは
女工・お仙の親身な説得であった。
以来、吉はお仙を
姉とも恋人とも慕うようになる。
ある日、お仙が意に添わぬ
嫁に行ったと聞かされ、
吉は…。

「象やの粂さん」
象やの粂さんは、
今では像の玩具の
露店売りをしているが、
かつては見世物小屋の
象の世話をしながら
いろいろな芸を仕込んでは、
象とともに旅をしていた。
そんな粂さんのもとに、
大金持ちの所有する
象の世話係の話が舞い込む…。

こちらの二篇も表面的には滑稽です。
しかし「ふたすじ道」は、
悪の道へと落ちてゆく少年と、
親の借金の形に、身売りされていく
少女とが描かれていて、
よくよく読めば、貧困にあえぐ
若者たちの姿が浮き上がってきます。
また「象やの粂さん」も、
明治の時代の社会的格差が
浮き彫りとなっている、
貴重な作品なのです。

一般庶民の貧困も、
古くて新しい問題です。
私たちの国は、高度経済成長期には
「一億層中流」といわれるくらい、
格差が是正され、
貧困がなくなったかに見えたのですが、
昭和が終わり、平成・令和と
労働者の賃金はまったく上昇せず、
格差は拡大し、貧困問題が
目に見えるようになってきています。
明治・大正期の問題などと
突き放して考えるわけにはいきません。

「お猿の番人になるまで」
酒飲みで暴力的な父親の家には
帰りたくないと思っている
留造は、
釘造りの職工の親方から
暇をもらい、
小さな薄汚い床屋に
小僧として住み込む。
人の良い親父さんに
使われながら、留造はやがて
娘のおはっちゃんと
仲良くなるが…。

「叔母さん」
私に、叔母さんと、
他の女の人を、
明確に区別させたのは、
私の、小さい美意識でしたろう。
綺麗なものに引きつけられる
子供の心は、
その点からだけでも私を
叔母さんに執着させるに
十分でした。けれども
私は叔母さんの所に…。

こちらの二篇には、
男女間の格差や閉鎖的な結婚観が、
絶妙な風刺を持って描かれています。
「お猿の番人になるまで」は、
完全な創作なのですが、
「叔母さん」は
自伝的小説といわれています。
「自伝的」ではあるものの、
明らかな創作に違いありません。
如是閑は自らのフェミニズムの思想を
開陳するために、
「叔母さん」なる女性を創造し、
彼女の口を借りて
表明したものと考えられます。

それにしても、
なんと進んだ考え方なのだろうかと、
驚かざるを得ません。
男女の平等・同権など、
現代の若い方であれば
「当然」のことでしょうが、
政治家をはじめとする現代日本の
「偉い男たち」の多くは、
こうした考え方を微塵も
持ってはいないと考えられます。
世界経済フォーラムの
ジェンダーギャップ指数において、
日本は毎回、
先進国で最下位なのですから。
それに比べて
100年前に生きていた如是閑、
恐るべき先進性です。

以前にも取り上げましたが、
1932年に起きた
「鳥潟静子の結婚解消騒動」
(ノーベル賞候補にも名前が挙がった
医学博士・鳥潟隆三の娘・静子が、
隆三の弟子と結婚、
ところが初夜に夫の性病を知り、
そのまま実家に戻り、
隆三は結婚解消を関係周囲に通知、
これによって対立した両家が
それぞれ新聞に弁明を発表し、
是非を巡って文壇を巻き込んだという
騒動)において、
谷崎潤一郎武者小路実篤
直木三十五などが静子を批判する
論旨を述べたのに対し、
如是閑だけは
「敬服に値する行動」であり、
「彼女の態度やよし」と
全面的に擁護しているのです。
現代の若者以上の、
時代を100年以上先取りした
先進的思想です。

大正期の日本という
まだまだ閉鎖的な環境にあって、
冷静に人権問題を捉え、
未来に視点を移していた長谷川如是閑。
「異次元の少子化対策」と
ぶち上げながら、
子育て中の女性の立場を
まったく分かっていない発言の続く
現代の総理大臣に比べ、
超人的な言論人といえます。

如是閑は長生きした人物であり、
1969年、93歳まで
この国を見続けていました。
この国の現在を見渡している
天国の如是閑は、
今、何と思っているか、
興味のあるところです。
私たちはまず、
残された作品を愉しみましょう。

〔本書収録順〕
ふたすじ道
お猿の番人になるまで

象やの粂さん
叔母さん

〔長谷川如是閑の本〕
長谷川如是閑はジャーナリストであり、
創作は文庫本では
この一冊しか出版されていません。
同じ岩波文庫からは
次の二つが刊行されています。

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