「菊水江戸日記」(横溝正史)

菊水兵馬を中心とする「三つの戦いの構図」

「菊水江戸日記」(横溝正史)春陽文庫
「菊水江戸日記」(横溝正史)
(「不知火奉行」)出版芸術社

与力・伊織は、
重要な囚人護送の役を
言い渡される。
囚人は有名な国学者・
岩瀬丹下であり、
その身柄奪還を
菊水兵馬なる曲者が
狙っているのだという。
伊織の護送任務遂行中、
突然日蝕現象が起こり、
その間隙を突いて
曲者が現れる…。
「第一話 日蝕の歌」

先日取り上げた、横溝正史による
知られざる幕末冒険活劇「菊水兵談」
その続編が、本書「菊水江戸日記」です。
本作品もまた前作同様、
全11篇よりなる連作短編集です。

〔「菊水江戸日記」全篇主要登場人物〕
菊水兵馬

…尊皇派の青年浪士。
 薩長連合に加わり鳥羽・伏見の戦いに
 身を投じた。江戸に帰還し、
 討幕運動を推進している。
かまいたちの小平
…元盗賊。足を洗って菊水兵馬の
 手先として隠密行動を取る。
三枝伊織
…「かみそり与力」の異名を持つ
 若い与力。
 敏腕であるがゆえにうぬぼれが強い。
 二十代。色白の優男。
 菊水兵馬捕縛に日夜励む。
深雪
…伊織の許嫁。
 作事奉行・行川路作左衛門の娘。
 菊水兵馬と接触を図る。
 行動的な女性。
小栗豊後守
…江戸の伊織の上司。町奉行。

〔「日蝕の歌」主要登場人物〕
岩瀬丹下
…国文学者。多くの崇拝者を持つ。
 兵馬も弟子の一人。
 幕府に捕らえられる。
雪野…丹下の娘。
忠助…岩瀬家の老僕。
柳井数馬
…豊後守の腹心の部下。
 囚人護送本隊の責任者。
小猿の與之助…伊織の手先。
牛松
…ならず者。菊水兵馬の身替わりを
 務めさせられる。

ただし、
サスペンス・ミステリ・人情ものなど、
多彩な味わいの前作に比べ、
本作品はその色合いに
統一感がもたらされています。
本作品は快男児・菊水兵馬が
「義賊」として描かれているのです。

淡雪の夜、
高貴な身なりをした娘が
一人乗った駕籠に、
鯰の権兵衛は疑念を抱く。
後をつけると、
娘は空家とおぼしき屋敷へ
入っていった。
屋敷内の八角堂で
娘は男と何やら相談をしていた。
その声の中に
「菊水様」との呼びかけが…。
「第二話 江戸城秘図」

〔「江戸城秘図」主要登場人物〕
鯰の権兵衛
…八丁堀の手先。
勘太・佐市
…謎の女性を乗せた駕籠屋の人足。
紅梅
…川路家の女中。深雪と同じ年頃の娘。
 菊水兵馬と接触していた。

どことなく怪盗ルパンのような
テイストですが、兵馬が
盗みを働くわけではありません。
倒幕の志士としての小気味よい活躍が
味わえます。
味わいどころは、菊水兵馬を中心とする
「三つの戦いの構図」です。

どこからか飛来してくる
「からす凧」。
それは江戸を騒がす
兇盗「からす組」の
現れる前兆なのだという。
その情報をもたらした
かまいたちの小平のあとを
伊織が追う。
たどり着いた荒れ寺で
待ち受けていたのは
なんと菊水兵馬だった…。
「第三話 からす凧」

〔「からす凧」主要登場人物〕
鵜飼甚十郎

…八丁堀与力。伊織の同僚の侍。

本作品の味わいどころ①
怪盗・菊水兵馬vs迷探偵・三枝伊織

一つめの戦いは、
菊水兵馬とそれを追う
与力・三枝伊織の勝負です。
11篇すべてに登場する
兵馬のライヴァルとして
三枝伊織なる有能な若侍を登場させ、
それを軸として
連作短編集を編み上げているのです。
いわば
怪盗・菊水兵馬vs迷探偵・三枝伊織と
いったところなのです。

絹の行商人を名乗る男女が
関所破りの疑いをかけられる。
機転を利かせて
二人を助けた侍は、
菊水兵馬だった。
その件で兵馬と近づきになった
辰五郎に、伊織は
眠り薬を盛るよう言い含める。
納得できないものを感じながら
辰五郎は…。
「第四話 あけぼの鳶」

〔「あけぼの鳶」主要登場人物〕
大谷喬之進

…薩摩藩士。
 関所破りの疑いをかけられる。
 西郷吉之助からの密書を携えてきた。
お袖
…喬之進に同行してきた許嫁。
よ組の辰五郎
…岡っ引き。伊織と顔なじみ。
 伊織の頼みで兵馬に眠り薬を盛る。
勘太・次郎吉…辰五郎の子分。

ところが、伊織が巧妙に張った罠は、
すべて兵馬の見通すところ。
勝負はすべて兵馬の完勝、
伊織は完敗・惨敗・大敗北。
完膚なきまでに叩きつぶされるのです。
この三枝伊織、実は
名探偵ではなく「迷」探偵なのでした。

小平の目の前で武士の懐から
紙入を掏り取った娘。
あとを追った小平が
それを奪い返したのだが、
娘は小平の紙入を
逆に抜き取っていた。
後日、
兵馬から紹介された武家は、
その紙入の持ち主だった。
密書を隠していたのだという…。
「第五話 葉桜街道」

〔「葉桜街道」主要登場人物〕
青柳鐵之助

…娘から密書入りの紙入を掏り取られた
 武家。菊水兵馬に相談する。
お信乃…鐵之助の許嫁。
飯塚多仲
…鐵之助の同僚。
 鐵之助に敵意を持っている。
だるまの長兵衛…江戸の掏摸の頭株。
お町
…長兵衛の娘。謎の侍の要求通り、
 鐵之助から紙入を掏り取る。
勘次
…掏摸に失敗し、謎の侍の人質となる。

本作品の味わいどころ②
兵馬・伊織連合vs混乱期・悪党軍団

ところが、この兵馬と伊織は、
敵対するばかりではなく、
共闘もします。
ただし、伊織の方は
納得して助太刀するわけではなく、
上手く兵馬に乗せられて、
結果的に助力してしまうといった
具合です。
敵は幕末の混乱に乗じて悪事を働く
凶賊集団・悪徳役人・
極悪外国人たちなのです。

鎌倉で悪事を働く偽攘夷党。
その正体を探索していた
小平の目の前に現れた女・お鐵。
黄金虫のような指輪をはめた
その女は、悪徳英商人
トムソンの妾だった。
その男の勤める
イギリス公使館には、
伊織もまた
疑惑の目を向けていたが…。
「第六話 黄金虫」

〔「黄金虫」主要登場人物〕
貝塚三十郎
…横浜戸部奉行所与力。
トムソン…イギリス商人。
お鐵…トムソンの愛妾。
鎌造
…お鐵の養父。金のためにお鐵を
 トムソンの妾にする。

この、単に兵馬vs伊織の
小さな対決だけでなく、
正義vs悪の大きな構図も取り入れ、
筋書きを面白くすることに
成功しているのです。
さすがはストーリー・テラー・横溝正史。

学者・鴨下蝶雨の処刑が
行われようとしていた竹矢来。
菊水兵馬が処刑阻止に
動くことを予想し、
伊織は群衆の中に張り込む。
兵馬は姿を現さず、
竹矢来の外では
無数の白い蝶が飛来するという
怪事が起きる。
伊織は兵馬の行方を追う…。
「第七話 白蝶系図」

〔「白蝶系図」主要登場人物〕
鴨下蝶雨

…高名な学者。
 幕府に睨まれ、処刑される。
采女…蝶雨の息子。
閻魔五兵衛…仏具師。
お篠…五兵衛の娘。
彌助…五兵衛の若い内弟子。

尊攘派の浪士六人が、
幕府との内通者「狐」の
正体を探っている。
小平が伊織の懐中から
掏り取った手紙に、その詳細が
書かれてあるというのだ。
それによると「狐」は今夜、
紫陽花屋敷に現れ、また一人、
仲間を伊織に引き渡すのだと…。
「第八話 謎の狐」

〔「謎の狐」主要登場人物〕
服部半十郎・鵜飼伝九郎・皆川静馬・
浅原十蔵・鷺坂勘三郎・八木新之丞・
江藤源八

…攘夷派の浪人。「狐」と呼ばれる
 内通者を見付け出そうと躍起になる。
早苗
…菊水兵馬を訪ねて京都から江戸に
 入った女。殺害される。

本作品の味わいどころ③
新時代・尊攘派vs古い時代・幕府軍

さらには全体を通奏低音のように流れる
対立軸として、当然、
西洋文明とともに押し寄せてくる
新しい時代と、
それに抗しつつも滅びゆく
古い時代とのせめぎ合いが
設定されているのです。
それもまた本作品の世界観を構成する
重要な要素となっています。
一言でいえば尊攘派vs幕府軍ですが、
もっと大きな流れを感じさせます。

辻占い師(実は菊水兵馬)を
尋ねてきた娘は、
行方不明の父の行方を
占ってほしいと願い出る。
娘の名はお国といい、
その父・與兵衞は
高い技能を持った船大工だった。
黒船に匹敵する軍艦を
建造しようとする幕府に
捕らえられたらしい…。
「第九話 黒船往来」

〔「黒船往来」主要登場人物〕
湖龍斎與兵衞

…遠島になっていた船大工。
お国…與兵衞の娘。
勘右衛門…網元。通称白木長者。

小説でも映画でも、
優秀作の続編はいたって
凡作であることが常なのですが、
この菊水シリーズは違います。
「菊水兵談」も読み応え十分でしたが、
本書「菊水江戸日記」も面白さ抜群です。
ぜひご一読ください。

化物屋敷と呼ばれている
空家から飛び出してきた娘は、
小平とすれ違ったときに
今戸焼の狸を落とし、動揺する。
それは近頃起きた殺人現場に
落ちていたものと同じだった。
しかも八丁堀が密かに
その今戸焼を
探しているのだという…。
「第十話 先駆者の旗」

〔「先駆者の旗」主要登場人物〕
山縣勘左衛門

…勤王家の武士。砲術家。反射炉の
 研究家。牢内で病死している。
大八郎…勘左衛門の息子。
草加の次郎吉
…江戸の盗人。
 かまいたちの小平と顔なじみ。
権兵衛
…今戸焼の職人。
 謎の狸の焼き物をつくった。
 勘左衛門が身を寄せていた。
仙松…権兵衛の弟子。
筧右門
…浪人。片眼の潰れたものすごい形相。
高島秋帆
…反射炉の研究家。
 勘左衛門・筧右門がその弟子。

上野を戦場として繰り広げられる
彰義隊と政府軍との戦い。
敗走する伊織の窮地を救った娘が
案内した先には、
かまいたちの小平がいた。
そしてその奥の間に座していた
貴人から密書を預かった伊織は、
奥州路を急ぐが、その先には…。
「第十一話 最後の密使」

〔「最後の密使」主要登場人物〕
輪王寺の宮
…伊織に密書を託す。

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本作品「菊水江戸日記」も、
かつては出版芸術社「不知火奉行」に
併録されていたのですが、
今回春陽文庫から
本作品のみ抜き出されての文庫化です。
「不知火奉行」の方も
ぜひ文庫化してほしいのですが、
春陽文庫は第三作「矢柄頓兵衛戦場噺」で
ストップしています。
春陽文庫さん、未文庫化の横溝正史の
時代物全作品の文庫化を
よろしくご検討ください。

(2023.12.22)

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(2024.1.19)

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「矢柄頓兵衛戦場噺」

〔出版芸術社「不知火奉行」〕
不知火奉行
菊水江戸日記
雌蛭
雲雀

「不知火奉行」出版芸術社

〔出版芸術社・横溝正史〕
「菊水兵談」
「変化獅子」
「奇傑左一平」

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