現代の私たちが読むと噴飯もの、でも…
「押川春浪幽霊小説集」(押川春浪)
国書刊行会
オオ、真の幽霊!
真の幽霊なるものありやなしや、
恐らくはなかるべし。
果たしてなきかと問われれば、
余は「然り」と断言することが
出来ぬのである。
幽霊ありやなしやは、
その霊魂が永久に
消滅すべきものなりや否やの
問題と共に…。
「万国幽霊怪話」
~「変幻怪異の発端」
押川春浪の本が
新たに刊行されることなど、
もはや永久にないものと
考えていました。
押川春浪の作品が読みたければ、
古書を丹念に探すしかないと、
思い込んでいました。
ところが昨年2023年1月に、
ひっそりと出版されていました。
まったく気づきませんでした。
8月に東京に出張した際、
立ち寄った書店の棚に収まっている
一冊を見て驚き、
そのままレジに直行した次第です。
冒頭に置かれた本作品は、
序文「変幻怪異の発端」を含めて
全37篇からの怪談集となっています。
実は本作品が刊行されたのは
1902年(明治35年)。
その後、1908年に
一度復刊されるのですが、以来、
絶版状態が100年以上にわたって
続いていました。
青空文庫にも
収録されていないのですが、
「国立国会図書館近代
デジタルライブラリー」で読むことは
可能でした。
ただし、当時出版された古書を
デジタル写真として
保存しているだけであり、
読みにくさこの上なく、
押川春浪ファンの私でさえ、
数篇読んだきり接していませんでした。
「現世には確かに幽霊がある。
幻影を見たのでもなければ、
神経の作用でもない。
僕は実際目撃して、
ほとんど死ぬような目に
遭って来た」と、
青年画伯白浜帆影は、
今もなお身の毛をよだてながら、
次のごとき気味悪い話をした。
私が…。
「幽霊旅館」
ホラーから始まったこの作品は、
犯罪小説、冒険活劇、SF作品と
その色合いを変え、
最後はポルノで締めくくる
(押川にはそんなつもりは
なかったのでしょうが)という、
味わいがめまぐるしく変化する
作品なのです。純粋に
エンターテインメントを追求した、
押川春浪ならではの作品といえます。
現代の私たちが読むと噴飯ものの設定が
いくつも出てくるのですが、
それもまた押川文学を読む
楽しみの一つです。次の
「黄金の腕輪」も愉しませてくれます。
年末年始を別荘で過ごしていた
松浪伯爵一家のもとに、
伯父の玉村侯爵から
光輝燦爛たる黄金の腕輪が届く。
「年の暮れに最も勇ましき
振る舞いをした者に
この腕輪を贈る」という
伯父侯爵の手紙とともに。
伯爵の三人の娘は困惑する…。
「黄金の腕輪」
「最も勇ましき振る舞い」を
求められるのは
男の子ではありません。
松浪伯爵の三人の娘たちなのです。
宝物はたった一人に与えられる、
その条件が「最も勇ましき振る舞い」。
普通女の子に求められるのは
「最も優しい」だとか
「最も貞淑な」だと思うのですが、
大正の時代、
女の子に勇敢さを求めたのです。
さすが押川春浪。
続く「南極の怪事」は、明治の当時、
まだまだその全容が解明されていない
未知の大陸・南極を舞台にしています。
科学者モンテス博士が、
秘密裏に南極探検船で出航する。
その二ヶ月前、
博士の二人の娘たちが、
古い時代の手紙が入った
ビールの空き瓶を拾っていた。
その手紙の記録者は、
遙か昔に冒険の末、
地球の果てに
流れ着いたのだという…。
「南極の怪事」
手紙を記したのは
エスパニアの旅行家ラゴン氏。
世界一周したにも飽き足らず、
モロッコから出航しようとしていた
異様な船に乗船。
航海途中に海賊の襲撃に遭い、
乗員7名全員死亡。
直後の異常気象により、
襲来した海賊もまた全員死亡。
ラゴン氏はたった一人で
船の流れるまま、地球の果ての
極寒の地へ到着するのです。
味わいどころは
「南極大陸」の描かれ方でしょうか。
当時の知識を総動員して、
少年少女たちに何とか伝えようとした
努力の跡がうかがえます。
さて、本書の表題には
「幽霊小説集」とあるのですが、
実は冒頭の「万国幽霊怪話」以外の
「幽霊旅館」「黄金の腕輪」
「南極の怪事」には、
幽霊は登場しないのです。
押川春浪の作品集を編むために、
無理して関連付けたような形です。
では、最後の「幽霊小家」はどうか?
叔父の荒井博士とともに
アジア大陸探検隊に加わった
猛雄と俊一の二少年。
険しい聖伏山での一夜、
二人は他の大人たちが
寝静まった後、
地元で幽霊小家と呼ばれる
荒ら家へと探検を試みる。
そこには五つの髑髏があり、
白い幽霊が…。
「幽霊小家」
実は幽霊と思われたのは、
「巨大河獺」なのでした。
やはり噴飯です。
「幽霊小家」から強く感じられるのは、
明治の「富国強兵」の薫りです。
河獺を一刀両断にしたり、
荒くれ男たちをねじ伏せるのも、
当時の少年たちにそうあってほしい、
さらにいえば、
勇ましい兵隊となってほしいという
明治政府(または当時の世相)が
色濃く反映された結果であるように
思うのです。
それでいて探検の場所は朝鮮半島。
山賊一味があまりにも弱々しいのも、
朝鮮人を見下していた
当時の世間一般の見方が
そのまま素直に現れたものなのでしょう
(欧米人を相手にしていないところが
なおさら当時の日本人らしい)。
行間からそこはかとなく漂ってくる
時代の匂いこそ、
現代の私たちが味わうべき本作品の
テイストではないかと思います。
さて、ネット上でいくつか見つかる
書評(素人の読後感等)を見る限り、
その評価は芳しくありません。
当然です。
押川文学に限らず、
古典的作品のすべては、
現代の読み手(特に若い方)が、
そのまま現代に引き寄せて読んでも、
面白くもなんともないのは
仕方ないのです。
娯楽のほとんどなかった明治の時代、
これらの作品が少年少女たちの心を
ときめかせていたであろうことは
容易に推察できます。
本作品は、
自らの精神を120年前に遡らせ、
明治の少年少女の心で
味わい尽くす必要があるのです。
なお、付録も充実していて、
資料価値の高いものとなっています。
草木も眠る真夜中に、
どんどんと雨戸を叩くものあり。
起き出でて見れば、
押川春浪と鷹野止水と也。
迎え入れて、対酌して、
暁に達す。止水去れり。
春浪なお留まりて、
なお対酌して、正午を過ぎたり。
ともに出でて、宮崎来城を…。
「付録一:酒に死せる押川春浪」
(大町桂月)
吾輩は去月、静岡県に旅行し、
車窓より箱根山の黄葉、
紅葉の碧潭に照映するを
飽かず愛賞し、
夜、駒籠の書斎に帰り来りし時、
卓上に、春浪君の訃報の
載せられたるを見たり。
令弟押川清君の名を以て、
春浪君が田端に病没せるを…。
「付録二:余の見たる押川春浪」
(横山健堂)
一八七六(明治九)年三月二一日、
押川方義・常の長男として、
愛媛県松山小唐人町に生まれる。
一一月、方義の伝道先の
新潟パーム・ホスピタルへ移転。
一九〇〇(明治三三)年夏、
「海底軍艦」執筆。
「木曜会」に参加。
永井荷風らと相知る…。
「付録三:押川春浪関係年譜」
本書は、もう二度と
新刊出版されないであろうと
思われていた押川文学に、
再び陽の目をあたらせることになった、
モニュメントのような一冊なのです。
こうした本が出版される限り、
日本の文化はまだまだ大丈夫なのだと
感じずにはいられません。
(2024.2.22)
〔押川春浪の作品について〕
そういう理由から、
押川春浪の作品を未読の方には
お薦めできません。
現代のものさしを持ったまま
本作品を読もうとすると、
「こんなものが怪談か!」と怒りだし、
本書を投げつけてしまう
結果になるでしょう。
押川春浪のコアな世界に入るためには、
まずは「海底軍艦」を読むことを
お薦めします。
「海底軍艦」は
青空文庫で読むことができます。
やや根が張りますが、
ペーパーバック版も登場しています。
「海底軍艦」を味わったなら、
次はいよいよ本書です。
さらには以下のような作品も
電子書籍で読むことができます。
本書に続いて、
「海底軍艦」をはじめとする多くの作品が
紙媒体として復刊することを
期待しています。
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