「〈ダイヤの頸飾り〉事件」(バー)

漱石がミステリを翻訳したらこうなるだろう

「〈ダイヤの頸飾り〉事件」
(バー/田中鼎訳)
(「ヴァルモンの功績」)創元推理文庫

「ヴァルモンの功績」創元推理文庫

吾輩はウジューヌ・ヴァルモン。
もっともこう名乗ったところで、
読者諸氏は何の感興も催すまい。
ロンドンで私立探偵をしている。
ある事件が原因で
政府は吾輩を馘首すべきと考え、
実際にそうした。
行使に異議を唱える気はない…。

先日、「放心家組合」を読み、
すっかりバーの、いや、
ウジューヌ・ヴァルモンの
虜になってしまいました。
「世界推理短篇集」に収録されている
「放心家組合」は宇野利泰訳ですが、
本書「ヴァルモンの功績」は田中鼎訳。
こちらはさらに面白さが増しています。

〔主要登場人物〕
ウジューヌ・ヴァルモン

…フランス国家警察刑事局長。
 「ダイヤの頸飾り」競売に関わる
 商品と落札者の保護の任を受ける。
マルタン・デュボア
…頸飾りを盗んだ容疑者として
 ヴァルモンが追跡していた人物。
 乗り込んだ汽艇から飛び降りる。
ジョン・P・ハザード
…頸飾りを落札した人物。
「イギリス人」
…頸飾りを追跡していたイギリス人。
 自ら「ロンドンに事務所を構える
 私立探偵」と名乗る。

本作品の味わいどころ①
事件解決に見えて実は…

「放心家組合」同様、
ヴァルモンの名探偵ぶりと
周囲の捜査官の無能ぶりが
描かれていくのですが、
事件解決かと思われた矢先、
とんでもない失敗に終わっていることが
明らかになるのです。
本作品では「仕掛け人」(犯人ではない)に
まんまと一杯食わされ、
その術中にはまっていたことが
判明します。
またしてもヴァルモンは「名探偵」から
「迷探偵」へと墜落していきます。
普通の探偵小説とは異なる、
「迷探偵」小説の醍醐味を、
とくとご賞味ください。

本作品の味わいどころ②
遊び心一杯のバーの設定

筋書きの冒頭は、
ダイヤの頸飾りを巡る
さまざまな因縁が語られます。
扱った宝石商は破産、
謙譲相手に擬された王妃は断頭台送り、
購入したローアン枢機卿は投獄、
仲介した伯爵夫人は墜落死。
いかにも「ダイヤの頸飾り」が
呪われた存在であるかを
力説しているのです。
壮大な筋書きが始まると見せかけて、
実はたいした事件ではなかったという、
いわば当時流行した
探偵小説に対するアンチテーゼとしての
「パロディ」なのです。
随所に盛り込まれた
バーの遊び心一杯の設定を、
とくとご賞味ください。

それにしても気になったのは
ヴァルモンによって拘束された
「イギリス人探偵」。
どう考えても
ホームズに違いないのですが、
その名前は明かされません。
巻末の解説によると、
「事件発生は一八九三年で、
ホームズの活動期における
空白期間」なのだそうです。
ホームズの活動休止は、
実はヴァルモンによってもたらされた
ものと考えることもできる、
気の利いた設定です。

本作品の味わいどころ③
遊び心一杯の漱石風訳文

あらすじ代わりに掲げたのは、
本作品の冒頭の一節です。
訳文はなぜか夏目漱石風。
それには理由があります。
漱石の「吾輩は猫である」に現れる
「この間ある雑誌を読んだら、
こういう詐欺師の小説があった」の
一節の「小説」とは、まさに
バーの「放心家組合」のことであり、
結果的に日本で最初に
バー作品を紹介したのは
漱石ということになっているからです。
漱石がバー作品を翻訳したら
こうなるだろうという
コンセプトのもと、
田中鼎なる訳者の訳文もまた
ユーモアに満ちあふれているのです。
全文にそこはかとなく漂う「明治感」。
上質のジョークにも似た
田中鼎の遊び心一杯の訳文を、
とくとご賞味ください。

こうした冗談のような作品なのですが、
名作として探偵小説史上に
その名を残しています。
パロディでありながら、
探偵小説としての
体を成しているからでしょう。
極上のミステリを、
とくとご賞味ください。

(2024.3.8)

〔「ヴァルモンの功績」ロバート・バー〕
〈ダイヤの頸飾り〉事件

爆弾の運命
手掛かりは銀の匙
チゼルリッグ卿の遺産
放心家組合
内反足の幽霊
ワイオミング・エドの釈放
レディ・アリシアのエメラルド
シャーロー・コームズの冒険
第二の分け前

〔関連記事:海外ミステリー〕

Pete LinforthによるPixabayからの画像

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