「破戒」(島崎藤村)②

二律背反の中で生きざるを得ない丑松の苦悩

「破戒」(島崎藤村)新潮文庫

前回の文末で、
主人公・丑松の「悟り」は
完全なものではないことに触れました。
なぜ「完全」ではないのか?
丑松の告白が
極めて卑屈になっているからです。

「実は、私は
 その卑賤(いや)しい
 穢多(えた)の一人です。」

丑松は受け持ちの子どもたちに
そう告白し、
「板敷の上へ跪いた」のです。
猪子の精神を
徹頭徹尾理解できたのであれば、
そうはならないはずです。
胸をはって堂々と告白し、
人間は等しく平等であることを
教師の言葉で以て
子どもたちに語りかけるはずです。
決して謝罪にはならないと思うのです。

多くの研究者はこの点に触れ、
作品としての未成熟な要素として
指摘しているようですが、
私はそうは思いません。
ここにこそ、丑松の真の苦悩が
現れていると思うのです。

自ら新平民であることを告白し、
社会運動に身を投じている
猪子蓮太郎の思想は、
確かに丑松の思考に
多大な影響を及ぼしました。
丑松は学問を修めたのですから、
自由や平等、正義、真理、
そうしたものを求める下地は
十分にできています。
そこに自分が抱いている
「負い目」を見事に克服し、
より自由な精神を謳っている
人生の先輩が現れたのです。
強い憧憬の念を抱いて当然です。

一方で、
「たとえいかなる目を見ようと、
いかなる人に邂逅おうと
決してそれとは自白けるな」という
父親からの戒めもまた、
丑松の人格の
根本部分を形づくっているのです。
差別に苦しんできた父親は、
世の中に出たい気持ちを抑えて
隠者の生活をしてきました。
自分を犠牲にしてでも、
子や孫には普通の生活をさせたいという
切なる思いからです。
それは丑松には
身に染みて理解できているのです。
父の忍従があって
現在の自分があるのですから。

猪子の思想に憧れながらも、
父親の願いも大切にしたい。
丑松はこの二律背反の中で
生きざるを得ないのです。
戒めは破っても、
その思いは捨てきれない。
だから彼は、
差別に立ち向かうという
根源的なところへは到達できないのです。
告白と謝罪に終始したのは、
そうした苦悩の果てと
考えたいと思います。

それだけに、
島崎が「破戒」で描いた「差別」の問題は、
当時の日本社会において
根深い問題として
存在していたのでしょう。

良くも悪くも、
読み手にいろいろなことを
考えさせる要素を内包しています。
若いうちに一度読み、
人生経験を積んだ後に
再び味わうべき作品といえます。

(2018.1.12)

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