「殺し屋」(ヘミングウェイ)

実はそうした場面は存在しないのです。

「殺し屋」(ヘミングウェイ/高見浩訳)
(「ヘミングウェイ全短編1」)新潮文庫

ジョージの経営するレストランに、
二人組の男が来店する。
二人はジョージを冷やかしながら、
サンドイッチを注文した。
食べ終えた二人は、
店員とコックを縛り上げ、
来店するであろう
アンダースンを待ち構えた。
殺すために…。

昨日取り上げた吉行淳之介の
短篇「曲がった背中」に登場する
ヘミングウェイの作品です。
モチーフになっただけあり、
こちらも異様な緊迫感に
包まれています。当然です。
二人の殺し屋がジョージの店で
アンダースンを殺すために
待ち伏せするのですから。
ジョージ、店員のニック、
そしてコックの三人の命は
無事だったのですが、
殺されたとしても
おかしくない状況です。

問題はアンダースンが
殺し屋を待つ描写です。
吉行は
「殺しにくる男がいる。
 それを、椅子に坐って、
 凝っと待っているんですよ」
と、
そのくだりを
作品中で紹介していますが、
実はそうした場面は存在しないのです。

ニックがジョージの言いつけで
アンダースンの部屋に駆け付け、
殺し屋が狙っていることを告げます。
そのときアンダースンは、
「服を着たまま
 ベッドに横たわっていた」

殺される人間・アンダースンは
椅子に座っているのではなく、
ベッドに横たわっているのです。
そしてそれどころか
殺し屋が来る場面自体が
描かれていないのです。

もしや吉行の取り上げた「殺人者」は
別の作品なのか?と思い
調べてみましたが、
該当するものは見つかりません。

察するに、吉行はこの作品を読み、
頭の中でストーリーを
反芻しているうちに、
この作品の描かれざる結末を
自分のイメージの中で完璧に創り上げ、
あたかもそう書かれていたかのように
錯覚していたのではないかと
思われます。

ニックが去ったあと、アンダースンは
ベッドから身体を起こし、
椅子に座って静かに来訪者を待つ。
そしてその運命を
ただ静かに受け入れる。
確かにその場面が見えてくるようです。

本作品の展開を見通した
吉行淳之介のイメージ力が
優れているのか、
それとも読み手にそれを
思い描かせる
ヘミングウェイの描写力が
抜きんでているのか。と思ったら…。

たった1日で書き上げたといわれる
ヘミングウェイの傑作短篇。
冬の冷気以上に
読み手の心胆を寒からしめます。

※と思ったら…。の続き。
 吉行の「曲がった背中」発表は1966年。
 その2年前に本作品を下敷きにした
 「殺人者たち」という
 ハードボイルド映画が
 公開されていたのでした。
 吉行はその映画を観たのでしょう。
 ちなみにその映画の悪役として
 ロナルド・レーガン元米大統領の名が
 クレジットされています。

※本作品は、「殺し屋達」という題名で
 「集英社ギャラリー世界の文学17」
 にも収録されています。

(2019.5.14)

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