「ひめゆりの塔」(石野径一郎)②

それでも本書は日本文学史上に残る希有な作品

「ひめゆりの塔」
(石野径一郎)講談社文庫

「本作品は著者の「怒り」の慟哭である」。
前回そう記しました。
「怒り」があまりにも
前面に出すぎているため、
文学作品としては
必ずしも十分とはいえない部分が
目立ってしまう作品でもあります。

ネット上の書評をいくつか検索すると、
「主人公をはじめとする
当時の若い人たちが、
戦争を批判するような考えを
これだけ表明できたか疑問である」
という意見が目に付きます。
いかにも終戦後の人間が書いたもの
という感じが付きまとってしまうのは
しかたのないところです。

そして、著者の感情が
強烈に表れているため、
かえって読み手のイメージが
膨らみにくいという難点もあります。

例えば井伏鱒二の「黒い雨」は、
原爆投下後の様子を、
私情を交えず淡々と描いたことにより、
原爆の恐ろしさ、戦争の悲惨さが
より鮮明に伝わってくる
作品となっています。

また、井上光晴の「明日」には、
その原爆投下さえも描かれていません。
「前日」までの長崎市民の生活の様子を
丹念に描写することによって、
それが一瞬にして消える
「明日」の運命の過酷さを
浮き彫りにしているのです。

これら両作品のような、
読者の想像をかき立てる要素が、
本作品には少ないのです。

さらに、当然のごとく、
戦況に翻弄される少女たちの姿を
描いているため、大きな転換点もなく
(戦争自体が大きな転換点なのですが)、
物語としては
盛り上がりに欠けるきらいがあります。
おそらくこの点については、
近年ベストセラーとなった
「永遠の0」等を読み、
戦争文学とはそのようなものだと
思われている方にとっては
物足りなく感じることと思われます。

つまり、現代となっては、
本作品は若い方々の理解が
得られにくくなっているのではないかと
私は懸念しているのです。

それでも本書は
人間の切実な叫び声が内包された、
日本文学史上に残る、
希有な作品だと思うのです。
誰かが、しっかりと次の世代に向けて、
本作品の真の価値を伝えて
いかなければならないと思うのです。
子どもたちに
ぜひ読んで欲しいと願う一冊です。
そして若いうちに、
リゾートビーチではない、
本当の沖縄の姿を見てほしいと
切に願います。

(2019.8.12)

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