
終末に残る、爽やかな余韻
「百日紅の下にて」(横溝正史)
(「横溝正史が選ぶ日本の名探偵
戦後ミステリー篇」)河出文庫
(「日本探偵小説全集9横溝正史集」)
創元推理文庫
(「殺人鬼」)角川文庫
百日紅の樹の下で
亡き妻・由美の思い出に
浸っていた佐伯。
彼に近づいて来た
復員者風の小柄な男は、
かつてそこで起きた
殺人事件について、
自ら推理した真相を語り始める。
その事件は、
由美の一周忌の夜に起きていた。
男の名は…。
昭和26年に書かれた
横溝正史の短篇です。
目立たない作品なのですが、
横溝の有名作品二つをつなぐ存在として
知られています。
また、ミステリでありながらも
爽やかな余韻を持って終わる、
隠れた逸品ともなっているのです。
さて、どんな事件が描かれているのか?
【事件簿File-002「百日紅の下にて」】
〔依頼人〕
川地謙三
…「復員者風の男」の戦友。
ある殺人事件の
容疑をかけられていた。
※依頼内容は「調査」ではなく、
佐伯一郎への事件の真相の「伝達」。
〔捜査関係者〕
※警察関係者は登場せず。
〔事件関係者〕
佐伯一郎
…義足の男。
百日紅の木の下で回想に耽っていた。
出征前四人の男に妻の保護を依頼。
佐伯由美
…佐伯の妻。
佐伯帰還の一週間後、服毒自殺。
五味謹之助
…佐伯の後輩。商社勤務。
青酸カリを飲んで死亡。
殺人なのか自殺なのか
真相は不明だった。
志賀久平
…佐伯の同窓。詩人。大学講師。
鬼頭準一
…佐伯家元書生。軍需会社勤務。
復員者風の男
…川地謙三の訃報とことづけを
佐伯に伝える。
〔事件の背景と概要〕
⑴昭和16年夏
・佐伯、妻・由美の保護を
四人の友人に託し、応召。
⑵昭和17年春
・佐伯、戦場にて左足損失。
召集解除。内地帰還。
・佐伯帰還の一週間後、
由美、服毒自殺。
⑶昭和18年春:由美の一周忌
・佐伯、五味・志賀・鬼頭・川地の四人を
招集、二日後に法事を執行。
・川地、所用にて
前日の夜から当日の昼まで不在。
・法事の朝、佐伯の飼い犬、急死。
事件後、毒死と判明。
・法事の席上、五人に配られた
グラスの一つを飲んだ五味が服毒死。
・警察は「自殺」と断定、捜査終了。
※犬と五味の死因となった薬物は
青酸カリ(川地所有)。
⑷昭和21年9月
・佐伯、復員者風の男と接触、
事件の真相を知る。
本作品の味わいどころ①
自然に描かれている異常愛
前半に描かれているのは、
少しばかり異常な夫婦関係です。
一郎と由美の佐伯夫妻は、
十五の年齢の開きがあります。
それ自体は
別に驚くことではありません。
しかし由美は、
わずか九歳の孤児だったとき、
一郎が買い取った少女なのです。
一郎は自分好みの女性に育てながら、
初経を待って
十五のときに関係を持ったのです。
これは源氏物語における
源氏と紫の上の関係と同一です。
とはいえ、それから千年たった
近代日本でそれを行うのは
異常性癖といわれても仕方ありません。
しかしその異常な状態を、
佐伯は平然と語っている分、
なお異常さが際立っているのです。
しかも、佐伯の語りの合間に、
横溝先生の記したト書きが、
場面の緊張感を盛り上げていきます。
「かれはむしろ自らつづるこの告白に、
酔うているようであった」
「顔にうかんだ恍惚たるかぎろいは
いよいよ深くなって来る」
「暗い、ものうい瞳が、いまでは
烈々たる輝きをしめしている」
一人の少女を
自分好みの女に育て上げた過程が、
艶めかしく綴られていくのです。
何とも怪しげな二人の関係が提示され、
どろどろした事件の
下地が明らかになります。
この、ごく自然な形で描かれている
異常性愛こそ、
本作品の第一の味わいどころなのです。
しっかりと味わいましょう。
本作品の味わいどころ②
誰が犯人?誰が狙われた?
佐伯・川地・五味・志賀・鬼頭の
五人が会した中で事件は起きたのです。
毒を飲んで死亡したのは五味。
五人の飲んだグラスの一つに
毒が盛られていたのです。
ところが毒を入れることのできた人物は
佐伯のみ。
しかしそれが五味の手に渡るまでに、
いくつかの出来事が起きているのです。
①佐伯、客間の一隅で
五つのグラスにジンを注ぎ込む。
②佐伯、使用人に呼ばれ、中座。
③佐伯中座中、
志賀がその一つを飲み干す。
かつ残り四つのグラスを並び替える。
④戻った佐伯、新たなグラスに
ジンをついで補充する。
⑤佐伯、グラスを
鬼頭・志賀・五味に手渡す。
⑥五味、盆に残った二つのグラスのうち
一つを川地に差し出す。
⑦鬼頭が電車のサイレンを
空襲警報と誤解、何人かが席を立つ。
その間、川地は自らのグラスを
五味のものと取り替える。
⑧ジンを飲んだ五味、死亡。
当初、⑦の行為、そして
青酸カリが川地の所有物だったために、
彼に嫌疑がかかりました。
しかし川地不在中に起きた
飼い犬の毒死の件があり、
川地の嫌疑が晴れることになるのです。
そして佐伯が毒を入れたとしても、
それが狙った人物の手に渡ったとは
限らないのです。
犯人が誰であるかもわからなければ、
犯人が誰を殺害しようとしたのかも
不明なのです。
この、犯人も標的も不明な
事件の謎めいた姿こそ、本作品の
第二の味わいどころとなるのです。
じっくりと味わいましょう。
本作品の味わいどころ③
終末に残る、爽やかな余韻
それを遠く離れた戦地で
川地から聴き取り、真相を推理し、
関係者である佐伯に伝えたのが
「復員者風の男」なのです。
しかも真犯人を追及して
追い詰めるような
単純な筋書きではありません。
毒を入れた者の意図を逸脱して
五味に行き着いた
グラスの謎を解きほぐすとともに、
事件以来募っていた
佐伯のわだかまりを取りのぞき、
かつ戦地に散った
川地の無念を晴らしているのです。
しかも毒殺事件だけでなく、
由美の自殺の真相をも突き止め、
一連の事件の
すべてを解決しているのです。
救われた川地の魂と佐伯の心、
そして足早に去って行く復員者風の男。
その結末は、ミステリでありながら
爽やかさを感じさせるほどなのです。
この、終末に残る、爽やかな余韻こそ、
本作品の最大の
味わいどころとなっているのです。
たっぷりと味わいましょう。
最後の一文がまた素敵です。
「蒼茫と暮れゆく
廃墟のなかの急坂を、
金田一耕助は雑嚢を
ゆすぶり、ゆすぶり、
急ぎ足に下っていった。
瀬戸内海の一孤島、
獄門島へ急ぐために―」。
そうです。
復員者風の男、すなわち金田一は
獄門島へ向かうその途中だったのです。
金田一は戦地において、
本作品の川地謙三からの伝言とともに、
「獄門島」事件の鬼頭千万太からの
遺言も預かっていたのです。
戦場には最もふさわしくない
この小柄で痩せた男は、
戦友たちから絶大な信頼を
得ていたことがわかります。
金田一耕助の隠れた魅力を感じさせる
エピソードとなっているのです。
ぜひご一読を。
(2022.12.23)
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(2025.11.13)
〔「横溝正史が選ぶ日本の名探偵
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百日紅の下にて 横溝正史
五人の子供 角田喜久雄
たぬき囃子 野村胡堂
選挙殺人事件 坂口安吾
霊亀香人形供養 城昌幸
原子病患者 高木彬光
古銭 鮎川哲也
黄色い花 仁木悦子
車引殺人事件 戸板康二
ひきずった縄 陳舜臣
〔「日本探偵小説全集9横溝正史集」〕
鬼火
探偵小説
本陣殺人事件
百日紅の下にて
獄門島
車井戸はなぜ軋る
王道の人 栗本薫
横溝正史年譜 中島河太郎編
編集後記
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