「ぐりとぐら」(中川李枝子)

大人目線は絵本の味わいを台無しにしてしまう

「ぐりとぐら」(中川李枝子)福音館書店

料理が好きな
野ねずみの「ぐり」と「ぐら」は、
どんぐり拾いの最中に
大きな大きな卵を見つける。
二人はその卵でカステラを作ろうと、
大きなお鍋を使って卵を焼き始める。
そのいいにおいに誘われて
森の動物たちが集まってくる…。

と、粗筋を書くのは
いかにも野暮です。
筋書きではなく、
絵本の世界を純粋に楽むべきなのです。

子どもに読み聞かせしていた頃
(二十年近く前)には、
絵本を素直に楽しむことができました。
子どもと一緒の目線で
読んでいたのかもしれません。
でも、最近それが
難しくなってきています。
つまらないことを
ふと考えてしまうのです。

例えばあの「たまご」は
一体どんな動物の「卵」だろうと。
どんな卵であれ、
それを産んだ「母親」はいるはずです。
我が子である卵を失った
母親の気持ちはいかばかりであるかと
ついつい考えてしまうのです。

そして
その卵からつくったカステラを、
他の動物たちと一緒に食べてしまう。
弱者の生命を集団で
よってたかって無きものにする。
もしかしたらこれは
何かの「寓話」かもしれないなどと
余計な想像をしてしまうのです。

さらに卵の殻を利用して
クルマをつくる最後の場面。
食べ物にした生物体すべてを
利用することによって、
生命に感謝し、
慈しむ心の大切さを
説かれているような
気がしてしまいます。
無理に教訓を導き出そうと
してしまうのです。

この大人目線が、
絵本の味わいを
台無しにしてしまうのです。
子どもはそんなことは考えません。
「たまご」は「たまご」であって、
それ以上でも
それ以下でもないのです。
そして料理好きの
ぐりとぐらが見つけたのであれば、
それは料理の材料に
決まっているのです。

私たち大人が絵本を読むときは、
そうした余計なことは考えずに、
ひたすら子どもになりきって、
ページをめくって
ぱっと目に飛び込んできた風景を、
そのまま心で感じることが
大切なのでしょう。

「ぐりとぐら」も
続編がいくつも出版され、
シリーズ化しています。
もう十数年すれば
私にも孫もできるでしょう。
そのとき子ども目線にすぐに戻って
読み聞かせができるよう、
これからも折に触れて
絵本を眺めていたいと思います。

(2019.1.28)

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