「不死身の特攻兵」(鴻上尚史)②

現代の私たちが問われていること

「不死身の特攻兵」
(鴻上尚史)講談社現代新書

無謀な特攻作戦が
蔓延した理由はいくつかありますが、
その一つとして本書で注目されるのは
「新聞」の広報の在り方です。
日露戦争開戦前、
新聞が「ロシア撃つべし」と
開戦を推進する立場と、
戦争を回避し「外交交渉による解決」を
主張する立場に分かれた際、
「戦争反対の新聞は
部数がどんどん落ちる」のに比して
「賛成派の新聞は
部数が伸びた」ことを挙げ、
筆者は新聞の報道の在り方にも
疑問を呈しているのです。

太平洋戦争時も、
玉砕と転進が続く記事の中にあって、
特攻美談は紙面に彩りを与え、
読み手に感動を
与えやすかったのでしょう。
「朝日新聞を例にとれば、
 なんらかの形で特攻隊が
 一面で記事になったのは、
 1944年の残り二ヵ月と少しで42回。
 1945年の終戦まで86回。

 計128回。」
新聞社も営利企業である以上、
仕方のない部分もあるのでしょうが、
それにしても
「売れるから書く」という姿勢は
ジャーナリズムであることを
自ら放棄しています。この点は
厳しく批判されるべきでしょう。
もちろん軍部の検閲が厳しく、
当時の新聞社が「まっとうなこと」を
書くことができなかったという背景は
あるのですが。

ただし、ここで気を付けるべきは、
新聞だけが悪いのでは
ないということです。
そうした美談を求める読者がいて、
そうした美談に酔いしれた
国民がいたからこそ、
戦争が起きたという側面もあるのです。
「みんな」が右ならえをして、
「みんな」が何かに忖度し、
そのために正しいことを
正しいと言えなくなったのだとしたら、
その責任は「みんな」にあるのです。

本書を読み終えた今、
ここに書かれてあるのは
昔だけのことなのだろうかという
疑念がぬぐいきれません。
昨今の日韓関係に関する記事を
ネットで見たとき、
対立を煽るような記事ばかりが目立ち、
粘り強く外交努力を
継続することの重要性を訴える記事は
見当たらなくなってきています。
刺激のある記事でなければ読まれない、
読まれないから書かれない、
そうした悪循環は現代も
継続しているのではないでしょうか。
太平洋戦争時に戦意高揚を
第一とした新聞社の姿勢と、
現代の日韓関係を巡るネットの論調を
比較することは、
いささか乱暴であることを承知しつつ、
そこに類似性が見えてしまうのです。

だからこそ、
私たちは複眼的な見方で
情報を吟味し、
冷静かつ論理的に思考し、
周囲に流されずに
自分の見解をしっかり持つこと、
そして必要に応じて
それを発信することが
大切なのでしょう。

70年前とは異なり、
情報を得る手段は豊富となり、
また個人で表明・発信する手段も得た
現代に生きる私たちです。
私たち現代人の英知が
問われているような気がします。

(2019.8.16)

Free-PhotosによるPixabayからの画像

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