「潤一郎ラビリンスⅦ」(谷崎潤一郎)

「大衆文学」としての小説の在り方をギリギリまで追究

「潤一郎ラビリンスⅦ」(谷崎潤一郎)
 中公文庫

「潤一郎ラビリンスⅦ」中公文庫

「病蓐の幻想」
神経衰弱に取り憑かれて
病床に伏している「彼」は、
虫歯も患い、
その激痛のあまり、
精神が変調を来す。
さらには今晩
大地震が起こるという
妄想にとりつかれ、
避難計画を練る。
地震の予兆である地鳴りが
「彼」の耳に聞こえはじめ…。

谷崎潤一郎の作品集である
「潤一郎ラビリンス」シリーズ。
全16巻が中公文庫から
出版されていますが、
その第7巻はサブタイトルが
「怪奇幻想倶楽部」。
いかにも谷崎らしい
怪しげな作品が並んでいる、
シリーズ屈指の一冊です。

今日のオススメ!

第一作「病褥の幻想」は
谷崎の嫌う「地震」に関しての、
妄想ともいえる内容です。
地震を極端なまでに恐れ嫌う
主人公「己」の姿は、
滑稽でありユーモラスなのですが、
そこに書き添えられている
「地震の知識」は、間違いばかりです。
執筆された大正5年段階での
(なんと関東大震災の7年前!)
世間一般の地震に関する知識は
その程度のものだったのか、
あるいは谷崎が意図して
そのような出鱈目を書き連ねたのか、
真偽は定かでありませんが、確かに
「怪奇幻想」の作品となっているのです。

「白晝鬼語」
突然訪れた友人・園村は、
今夜演ぜられる人殺しを
見に行こうと「私」に持ち掛ける。
精神病を患う園村の
身を案じた「私」は、
渋々ながら同行する。
雨戸の節穴から覗くと、
妖艶な女と怪しげな男が、死体を
薬品で溶解処理しようと…。

第二作「白晝鬼語」には、
何と江戸川乱歩にも似た世界が
広がっています。
主人公が拾った暗号解読から
事件が始まり、
覗き穴から覗くことによって
主人公は事件に足を踏み入れ、
主人公は否応なしに
美女に絡め取られるように
事件の渦中へと
引きずり込まれるのです。
そして終末の…。

しかし谷崎の本作品が
「乱歩的」なのではなく、
乱歩が谷崎の構築した世界の、
こうした部分だけを継承したのです。
乱歩は谷崎の「怪奇幻想」的要素を
引き延ばし、発展させ、
さらにはデフォルメして特異な
作品世界を創り上げていったのです。

「人間が猿になった話」
二階の女の一人が
うなされているため、
「わし」は様子を見にいく。
そこには、寝ているお染の
掛け布団の上に
置物のように座っている
一匹の猿の姿があった。
雨戸を開けて指し示すと、
猿は静かに出ていった。
ある日、お染は「わし」に…。

第三作「人間が猿になった話」は
表題通りの変身譚です。
それも安部公房の諸作品や
中島敦「山月記」といった
雰囲気ではありません。
印象として最も近いのは
先日取り上げた
田村泰次郎「男鹿」でしょうか
(こちらは逃亡者が鹿に変身)。
でも、それらはすべて谷崎の
本作品以後に書かれたものなのです
(本作品発表は大正7年)。
谷崎はここでも
抜群の先駆性を見せているのです。

「魚の李太白」
親友の春江から
結婚祝いとして贈られた
「緋ぢりめんの鯛」。
着物の裏にするとよいという
義母の言いつけにしたがって、
桃子がそれを解こうとすると、
鯛が「痛い」とささやく。
「緋ぢりめんの美しい肌を
剥がされるのが
悲しい」のだという…。

第四作「魚の李太白」は、
「緋ぢりめんの鯛」が口をきくという
何ともメルヘンチックな
ファンタジーの衣を纏っているのですが
正体が今ひとつはっきりしません。
「鯛」の口述は次第に
品のないものとなっていき、
単なる「悪ふざけ」の様相を
呈してくるからです。
「悪ふざけ」をさせても、
谷崎は天下一品なのでした。

「美食倶楽部」
きっと今迄誰かが
阿片を吸っていたのでしょう。
御覧なさい。
ここに小さな穴があります。
ここから覗くと宴会の模様が
残らず分かります。
此の部屋に這入って来たものは、
ここからあの様子を眺め、
うとうとと
阿片の眠りに浸る…。

第五作「美食倶楽部」こそ、
谷崎の一大傑作といっていい作品です。
表題の心地良い響きから、
料理に関するアンソロジーに
編まれることの多い作品なのですが、
料理小説でもなければ
食レポでもありません。
巧妙に仕組まれた「官能小説」であり、
知らずに読み進めると
痛い目に遭います。
女性の方であれば、怒って
本を壁に投げつけるかも知れません。
しかも読み手が気づかぬうちに
作品世界にのめり込んで
逃げ出さないようにしてしまう罠が、
幾重にも張られているのです。
文壇における「創作」という作業で、
これだけ遊んでいるのは
谷崎だけではないかと思います。

「純文学」ではなく、
「大衆文学」としての小説の在り方を
ギリギリまで追究したような
作品群なのです。
好き嫌いはあろうかと思うのですが、
谷崎文学の先駆性や娯楽性、
創作技巧の高さや想像力の豊かさが
最大限に発揮された本アンソロジー、
ぜひご賞味ください。

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〔「谷崎潤一郎全集はいかがですか〕

中公文庫から出ている作品を
すべて読み尽くせば、あとは
ここに行き着くしかなくなります。

(2023.8.24)

fszalaiによるPixabayからの画像

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