「金と銀」(谷崎潤一郎)

いけないいけない、同化してはいけない

「金と銀」(谷崎潤一郎)
(「潤一郎ラビリンスⅩ」)中公文庫

妥協の道は断じて有り得ない!
己が飽く迄も生きて、発達して、
天才の境地に伸びて行くには、
青野が此の世から
居なくならなければ駄目なのだ。
彼が存在する限り
己の前途は真暗闇だ。
「そうだ、己は青野を
殺すより外にない。」…。

物騒なつぶやきを発しているのは、
三十一、二の画家の青年。
方向性がまったく同じであり、
かつ芸術性の点において
確実に自分を凌駕する存在の青野。
このままでは自らの存在が
脅かされると感じてのことです。
谷崎潤一郎の中篇作品「金と銀」は、
その終盤において、
きわめてスリリングな方向へと
展開していきます。

〔主要登場人物〕
青野

…画家。天賦の才能を持つが、
 日頃の悪徳・悪行のため、その芸術は
 世の中から認められていない。
 マゾヒスト的な性嗜好。
大川
…画家。自分の芸術性が青野と
 同じ方向でありながら、
 彼よりも劣っていることに
 自己嫌悪を感じている。
 律儀で道徳家。
栄子
…ある種の肉体美を持ったモデル。
 知性や道徳性が欠如している。
 青野を籠絡する。

本作品、登場人物は
いたってシンプルです。
上記の青野、大川、栄子、
このほかには冒頭で
今村という人物の名が記されますが、
彼の言動が描かれるわけでもなく、
筋書きに関わるわけでもないのです。
そして名前が与えられているのは
これだけであり、
大川の家の描写の中に、
彼の妹や書生の姿が現れるのですが、
それも背景のようなものです。
そういう意味では、栄子もまた、
青野と大川を結びつけ、
その行動の差違を
明確にするだけの存在ともいえるため、
結局のところ、
本作品は青野と大川の物語なのです。
したがって味わいどころはずばり、
青野と大川の「二人」なのです。

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本作品の味わいどころ①
黒と白、まったく異なる二人

この二人、
異なるのは道徳的な心情でしょうか。
青野は一言でいえば「悪人」です。
決して大悪党ではなく、
あくまでも「小悪党」です。
しかも谷崎作品でおなじみの
「自らの悪を自覚している悪人」です。
さらには無意識のうちに理論武装し、
自らの悪徳を正当化したり、
必然性を持たせたりする、たちの悪い
谷崎作品特有の「悪人」なのです。
一方の大川は、義理堅く、常識家で、
周囲が見放している青野に
資金的援助さえしているのです。
それも騙されていることに
気づきながらも
(ただしそれは思いやりの心から
発せられたものではなく、
自らの体面を重んじるあまりの
ことなのですが)。
たとえるなら、黒と白。
このまったく異なる二人の
生き方在り方と、
その異なる両者が交錯する妙を、
まずはじっくり味わいたいものです。

本作品の味わいどころ②
善と悪、次第に同化する二人

ところがこの二人は、
次第に一つに収斂されていくかのような
展開を見せます。
冒頭に掲げた一節(P.98)は、
中盤において流れが変わる場面における
大川の心情の吐露です。
善人と思われていた大川が
まさかの変身。
青野との交流の悪影響か、
青野の芸術に対する嫉妬のなせる技か。
しかし大川は根っからの善人ではなく、
「善人らしく振る舞うこと」を
是としてきた人間なのです。
その心理の深層には、
「悪」が根付いていたとしても
不思議ではありません。
大川は青野と同化していくのか、
そして大川は青野を
葬り去ることはできるのか、
善と悪の両者の衝突の行方を、
次にしっかり味わっていただきたいと
思います。

本作品の味わいどころ③
実と虚、谷崎の影である二人

で、詰まるところ、青野と大川、
どちらも谷崎の影であることに
気づかされます。
本アンソロジーのテーマは「分身物語」。
青野と大川の
どちらが実像でどちらが虚像か、
ではなく、
実像はあくまでも谷崎本人であり、
青野・大川は
その幻影に過ぎないのです。
両者とも「自らは悪人であるものの
その芸術性の高さは
万人から認められたい」という
我が儘かつ虫のいい欲求を
抱えているのです。
谷崎のアバター二人の、
そして谷崎自身の葛藤こそ、
本作品の最大の
味わいどころとなっているのです。

作家は自らの内面を
切り売りしてなんぼ、という
職業であることはよく言われます。
しかし谷崎ほど、自身の深層心理を
いろいろな角度から切り刻み、
その断面をこれ見よがしに提示した
作家は他に見当たりません。
だからこそ、その作品を読む度に、
作者・谷崎に
近づいていくような気がするのです。
いけないいけない、
同化してはいけない。

(2024.3.7)

〔「潤一郎ラビリンスⅩ 分身物語」〕
金と銀
AとBの話
友田と松永の話

「潤一郎ラビリンスⅩ」中公文庫

〔関連記事:谷崎潤一郎の作品〕

〔中公文庫「潤一郎ラビリンス」〕

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