
盗賊はドイツ人、大正期のスパイ大作戦!
「深紅の秘密」(横溝正史)
(「恐ろしき四月馬鹿」)角川文庫
(「恐ろしき四月馬鹿」)角川書店
(「横溝正史ミステリ
短篇コレクション①」)柏書房
「僕」の家に何者かが侵入し、
洋書五冊のうち
三冊を盗んでいった。
五冊の表紙の色は深紅二冊、
そして黄、紫、緑。
賊が落とした紙切れには
「黄・緑・紫」と書かれていたが、
盗まれたのは黄・赤・紫だった。
後日、ドイツの探偵が現れ…。
「僕」の屋敷から蔵書を盗み取った
盗賊の正体はなんとドイツ人。
それを追ってドイツ本国から
秘密探偵局員がやってくるという
奇想天外な設定です。
現代からすれば噴飯ものですが、
その背景を考えると
いろいろなことが見えてきます。
横溝正史の初期の短篇
「深紅の秘密」です。
【主要登場人物】
「僕」(江馬正司)
…会社社長の嫡男。神戸支店長。
ドイツで購入した書籍を盗まれる。
安蔵
…「僕」の屋敷の執事。
ザーメン・ラーゲ
…ドイツ秘密探偵局員。
ロットシュタイン
…大量破壊兵器を秘密裏に開発した
研究者。すでに死亡。
ウワッサア
…ロットシュタイン博士の助手。
博士の兵器の秘密を盗もうと画策。
クノーテン
…ウワッサアの友人。計画に加担。
本作品の味わいどころ①
盗賊はドイツ人、スパイ大作戦
本作品発表は1921年(大正10年)。
当時、日本とドイツの関係は
少しばかり複雑でした。
なぜならばこの年は
第一次世界大戦が終了してから
まだわずか三年。
日本は日英同盟を根拠に参戦、
戦勝国となっています。
一方ドイツはその敗戦国。
1919年のヴェルサイユ条約締結により
公式には日独の戦争状態は解消、
1921年には正式に
国交を回復したとはいえ、
日本は中国の青島や南洋諸島の
ドイツ権益を奪取している関係上、
「気まずい間柄」であったことに
間違いありません。
それでいてなぜ「ドイツ」なのか?
ミステリの本場
イギリスではいけなかったのか?
国家間の政治的対立はあっても、
当時の日本、それも特に
医学、法学、軍事、哲学の領域において、
ドイツは依然として
「師」と仰ぐ先進国だったのです。
横溝はその年、
大阪薬学専門学校に入学、
薬学専攻です。
ドイツの科学捜査への
憧憬が強かったとしても
不思議ではありません。
まずは純粋にドイツ人スパイ対
ドイツ秘密探偵局員との対決を、
当時の読み手の目線に立って
満喫するべきです。
この、スパイ大作戦ともいえる設定こそ
本作品の第一の味わいどころなのです。
しっかりと味わいましょう。
本作品の味わいどころ②
日本ミステリ黎明期の試行錯誤
実は本作品には不自然な設定が
いくつも登場します。
とても現代のミステリーの評価基準を
満たすものではありません。
ドイツ人の盗賊が
家人のいる屋敷に気付かれずに侵入し、
目的の書物を難なく盗んで逃げ去る。
逃げる途中で
家主の「僕」と偶然にもぶつかり合う。
泥棒が侵入によって
被害が生じているにもかかわらず
警察には通報しない。
翌日に再び盗賊の侵入を許す。
大正期の裕福なお坊ちゃんと執事の
二人暮らしとはいえ、
あまりにもセキュリティが緩すぎです。
そもそもドイツ秘密探偵局
(おそらく公的機関と思われる)の介入は
大正期であっても
国家主権の侵害に当たります。
治安維持・捜査権は領域国家に専属、
外国の警察・諜報機関の
他国における活動は
国際法上認められない、
こうしたルールは、十九世紀末ころには
すでに確立していたのです。
このように本短篇は、
緻密な状況設定に定評のある
横溝らしからぬ作品なのです。
それもそのはず、
大正10年といえば横溝はわずか19歳。
成人前に書き上げ、懸賞に応募
(三位で入選)したという
超初期作品(第二作)なのです。
習作だから、
ということではありません。
横溝に限らず、
当時は日本ミステリの黎明期であり、
探偵小説はどうあるべきか、
試行錯誤が続いていた時期なのです。
本作品は横溝が日本ミステリ界の
若き騎手として参戦した
記念すべき一作なのです。
疵も一緒に愛でるべきです。
この、本作品にみられる
日本ミステリ界の
黎明期試行錯誤の痕跡こそ、
本作品の第二の
味わいどころとなるのです。
じっくりと味わいましょう。
本作品の味わいどころ③
(当時としては)奇抜なトリック
犯人はなぜ二度にわたって
本当に必要な緑色の表紙の本と
赤色の本を間違えてもっていたか?
その謎については
ぜひ読んで確かめてくださいとしか
いいようがありません
(現代であれば読まなくても
わかってしまうのですが)。
巻末解説を読むと、
このトリックを導入したのは
日本ミステリでは本作品が
最初のようです(横溝は金田一ものの
「仮面舞踏会」でも
このトリックを使用している)。
こうした新しいものを
積極果敢に取り入れようとする姿勢が、
のちの横溝作品傑作群の完成に
繋がっていったと考えられるのです。
初期作品とはいえ、本作品も
決して無視はできないのです。
この、当時としては奇抜な
トリックの導入こそ、本作品の第三の
味わいどころとなっているのです。
たっぷりと味わいましょう。
横溝の初期作品を収めた旧角川文庫版は
絶版状態となって久しくなりました。
電子書籍化はされたのですが
(一部作品はカットされている)、
紙媒体での復刊を望むのは
無理なのでしょうか。
柏書房刊
「横溝正史ミステリ短篇コレクション」で
まずはご賞味あれ。
(2018.12.9)
〔残念なことに誤植あり〕
もっとも新しい「横溝正史
ミステリ短篇コレクション」では、
終末部分に
「そして運命の書物、黄と赤との
表紙を持った二冊の書物は、
永久に葬られてしまいました」
とあるのですが、内容から判断すると
「黄と紫」であるはずです。
柏書房版は初出誌を参照しているため、
この誤植はおそらく初出誌段階で
生じていたものと思われます
(もしかしたら横溝の勘違いによる
原稿段階での
ミスの可能性もあります)。
なお、角川書店単行本でも同じように
「黄と赤」になっているのですが、
角川文庫版ではそれが正しく訂正されて
「黄と紫」になっています。
〔「恐ろしき四月馬鹿」角川文庫〕
恐ろしき四月馬鹿
深紅の秘密
画室の犯罪
丘の三軒家
キャン・シャック酒場
広告人形
裏切る時計
災難
赤屋敷の記録
悲しき郵便屋
飾り窓の中の恋人
犯罪を猟る男
執念
断髪流行
〔「恐ろしき四月馬鹿」角川書店〕
〔「横溝正史ミステリ短篇コレクション
①恐ろしき四月馬鹿」柏書房〕
恐ろしき四月馬鹿
深紅の秘密
画室の犯罪
丘の三軒家
キャン・シャック酒場
広告人形
裏切る時計
災難
赤屋敷の記録
悲しき郵便屋
飾り窓の中の恋人
犯罪を猟る男
執念
断髪流行
山名耕作の不思議な生活
鈴木と河越の話
ネクタイ綺譚
夫婦書簡文
あ・てる・てえる・ふいるむ
角男
川越雄作の不思議な旅館
双生児
片腕
ある女装冒険者の話
秋の挿話
二人の未亡人
カリオストロ夫人
丹夫人の化粧台
〔関連記事:横溝ノンシリーズ〕



〔角川文庫横溝ミステリ〕
〔横溝ミステリ短篇コレクション〕


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