怪談としての恐ろしさよりも戦争の恐ろしさ
「沼のほとり」(豊島与志雄)
(「日本文学100年の名作第4巻」)
新潮文庫
八重子は兵役に就いている息子を
見舞った後、
切符を買うことができず
難渋していた。
そこへ見ず知らずの若い女性から
宿の提供の申し出があり、
八重子はその好意に甘える。
終戦後、八重子は
その女性の家を訪ねるが、
そこには…。
そこには家など何もなかった。
ではあの一夜を過ごしたのは一体…?
という幻想的な小話なのです。
なにやら怪談じみています。
実は狐に化かされていた、という
昔ばなしはいくつもあります。
でも、その手の類いではありません。
やや状況説明が必要です。
終戦後、八重子は戦死した従弟・高次の
姉・清子を訪ねます。
その際、高次の婚約者・小川加代子の
写真を見つけます。
その姿こそ、
八重子に宿を勧めた女性だったのです。
さて、あったはずの家が
跡形もなくなっていたのですから、
加代子は幽霊ということになります。
だとすれば、なぜ婚約者・高次の従姉の
八重子が困っている場面に現れ、
一夜の宿を与えたのか?
推察するしかありません。
考えられるのは、
八重子の身の上があまりにも
気の毒だからということです。
「夫の亡い身には」と
さりげなく織り込まれています。
彼女はすでに未亡人なのです。
また、息子の部隊へ見舞いに
出かけているところを見ると、家には
もう誰もいないことがわかります。
一人息子を兵隊にとられたのです。
その息子も、
「軍服がだいぶ身に付いてきた」
「お母さまという
幼な時代通りの甘えた語調」
「おはぎの甘さに舌づつみを打つ」
という記述から、成人前、それも
かなり若い少年であることが
想像できます。
さらに読み込むと、
時代は昭和20年の終戦直前です。
だとすれば同年6月に施行された
義勇兵役法によって召集された
少年兵(15歳以上が対象)と考えることが
自然です。
母子二人で生活している家庭から、
15歳の子どもを無理矢理奪い取るように
戦地へ送り出した戦争。
幸いにも八重子の息子は
無事帰還が叶いましたが、
加世子の婚約者は無残にも
南方で命を落とすのです。
一読するかぎり、
怪談としての恐ろしさは
微塵も存在しない作品です。
むしろ温かささえ感じさせます。
その一方で、読み込んでいくと
戦争の恐ろしさが
じわじわと滲み出るように
迫ってくる作品でもあります。
豊島与志雄の代表作といえる逸品です。
(2019.8.6)
【青空文庫】
「沼のほとり」(豊島与志雄)