「兵隊宿」(竹西寛子)

悲しい時代の悲しい成長物語

「兵隊宿」(竹西寛子)
 講談社文芸文庫

ひさしの家は三人の将校たちの
兵隊宿を割り当てられる。
一週間滞在した将校たちは、
その四日目、神社への参拝に
ひさしを連れて行きたいと
母親に申し出る。
「迷惑」と感じながら
ついていったひさしは、
神社での彼等の姿を見て…。

神社で何か起きるわけではありません。
三人の将校たちは、
「軍帽をとると、長い間本殿に向って
頭を垂れていた」だけなのです。
あとは帰り道で大きな本屋に立ち寄り、
ひさしに馬の画集を
買い与えたのみです。
しかし、ひさしの気持ちは、
「出かけて行く時とは
はっきり違っ」ているのです。

どう違うか?
「迷惑だなあ、という思いは
いつのまにか消えていた」としか
作者・竹西は何も書いていません。
そして
「にわかに湧き出してきた
とりとめのないかなしみの中で、
自分がこれまで
知らなかった新しい感情の世界に、
いま、確かに一歩入ったということを
知らされた。」で
作品が結ばれるように、
このひさしの気持ちの変容こそ、
本作品の読みどころと
なっているのです。

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今日のオススメ!

日中戦争が泥沼化する様相を呈し、
それでいて
米国をはじめとする国々との間に
軋轢が生じ、
戦争の足音が次第に大きくなりつつある
時期のことです。
海の向こうで
戦争が起きていることは知っていても、
それがどのようなことを意味するのか、
それまでひさしは
知らなかったに違いありません。
自分が見知ったありふれた神社で、
将校たちが深々と頭を下げ、
何かを必死に念じている姿から、
ひさしは彼等が
命の保証のない戦場へと送り出される
厳然とした事実を
突きつけられたのです。

そして将校たちは
家人全員への感謝とは別に、
ひさしにだけ特別の思いを
寄せたのです。
それが馬の画集です。
ひさしは馬が大好きであり、
その馬の絵を描くのも大好きです。
それを知って何も言わずに
馬の画集を贈ったのは、
意味があったのでしょう。
郷里に残した
自分たちの子どもを思い出したのか、
あるいは将校たちは独身であり、
ひさしを
次の世代の代表と見立てたのか。
作者はその点についても
一切触れていません。

本作品は明らかに
主人公・ひさしの成長物語です。
しかも、「かなしみ」を知ることによって
大人の扉を叩くという、
悲しい時代の悲しい成長物語です。

静謐な文章の中に、実に多くの
「書かれざる物語」が広がっています。
高校生にぜひ薦めたい一冊ですが、
残念なことに
本書も絶版状態が続いています。

※本書は9つの短篇からなる作品集、
 それも主人公・ひさしが共通する
 いわば連作短篇集の形を
 とっています(作者・竹西は
 9つは独立した作品であり、
 「連作としなかった」と
 書いている)。

〔本書収録作品一覧〕
少年の島
流線的
緋鯉
虚無僧
先生の本
兵隊宿
洋館の人達

猫車

(2020.9.22)

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